終わりの無い日常

Fortune Tarot

良い学校に入って、良い会社に入る。それこそが幸せだ、なんて古い考えです。いや、古くても使える考えなら良いのですがね。少なくとも、この考えは古くて使えない考えです。良い学校に入ったからって、幸せに成れるなんて限りません。良い会社に入ったからって、幸せに成れるなんて限りません。例えば小学校の先生に成りたいなら、教員免許を取らねば成りません。じゃあ、何処かの大学の教育学部を出なければ成りません。この様に目的やゴールを決めて初めて、何処の高校に行こうだとか何処の大学に行こうだとかいう話に成ります。あくまでも目的ありき、ゴールありきなんですね。だから取り敢えず高校に行っとけば良いとか、取り敢えず大学に行っとけば良いとか。そういった考えは誤った考えですし、劣った考えと言っても良いでしょう。まぁ日本国民には勤労の義務や納税の義務が在りますから、会社に関しては取り敢えず入って働かなければ成らないというのは解りますがね。それでも何時までも取り敢えず働いてるという状態では、それは奴隷をやってるのと何も変わりません。

老若男女、全ての人が目的やゴールを決めねば成りません。そして自らで決めた目的やゴールに向かい、自らを進め続けねば成りません。そうする事で初めて、私達は奴隷という状態から解放されます。勿論、依然として支配者や権力者達の支配と搾取のシステムから逃れられる訳ではないのですがね。それでも自らでは何も考えず支配者や権力者達から洗脳され続けるよりかは、よっぽどマシです。つまり我がが奴隷にされてると気が付くだけでも、意味と価値が在るという事です。同じ奴隷でも気が付いてる奴隷と気が付いてない奴隷とでは、天と地よりも大きな差が在ります。

脱奴隷の第1歩は、自らの足で立ち上がるという事です。それは、経済的な話では在りません。経済的な話だったら、小学生とかは自らの足で立ち上がれないという事に成ってしまいます。ここで言う自らの足で立ち上がるとは、目的やゴールを決めるという事です。目的やゴールを決める時には、プロのコーチに導いてもらいながらというのが理想です。ですが今の日本では、なかなか難しいのかもしれませんね。それでもやはり、目的やゴールを決められた方が良いですよね。

因みに、思考は行動の前提です。つまり「ダイエットしたい」と言ってる人はそう言った時点でダイエットを始めてなければ、心の底から「ダイエットをしたい」とは思ったり考えたりしてないという事です。皆さんの周りにも、こういう人って居ませんでしょうか。人の思考は言動だけでなく、表情や態度に表れちゃうんです。むしろ言動は偽れても、表情や態度は偽り難いもんです。今日をがんばれない奴は、永遠にがんばれない・・・明日やろうは、馬鹿やろう・・・と、似た様な言も多く在りますよね。

人の脳には、RASというものが組み込まれてます。このRASは脳のフィルターの役を担い、外界からの情報をフィルタリングします。そして脳が重要だと考えてるものだけがこのフィルターを通り抜け、それしか私達は感じれません。という事は脳が重要だと考えてないものはこのフィルターを通り抜けれないので、それ等を私達は感じれないんです。脳が重要だと考えてないものは、目に入っても見えないんです。脳が重要だと考えてないものは、耳に入っても聞こえないんです。それはつまりスコトマ、盲点が視覚だけでなく五感の全てに生まれるという事です。そして人のRASは、1人1人で違います。RASが違うという事は、1人1人のスコトマが違うという事です。ですから私達は1人1人、全く違う世を視て聴いて生きてるんです。

スコトマが全て外れる事もまた、奴隷からの脱し方と言えるでしょうね。だたしこれをやれたのは、釈迦さん1人だけですがね。釈迦さんは瞑想をして、全てのスコトマが外れた訳です。それは何も重要なものが無くなった、という訳ではありません。むしろ逆に、全てのものが重要に成ったんです。全てのものの重要度が同じに成った、とも言い換えれるでしょうね。こればかりは釈迦さんしか体験した事が無い訳ですが、恐らくはとてつもなく快い体験だったでしょうね。

でも、そこで終わってはいけないんですね。釈迦さんだって悟りを開いた後に、その悟りを死ぬまで民に語り続けました。釈迦さんのレベルまでいかなくても、瞑想や座禅をすれば快さは味わえます。その昔、達磨大師という方が居られました。この方は足が腐るまで、座禅を組んでた事で有名です。つまり座禅や瞑想って、足が腐っても気が付かない位に快いという事です。でも、そこに留まっててはいけないんです。釈迦さんの様に、悟った後でも再び日常に戻らなければ成らないんですね。それはつまり、スコトマが外れた状態で日常を生きるという事。それこそが悟った人、仏陀と呼ばれる人の生き方なのかもしれませんね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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