傷を負うもの
生きていれば誰しも、深い悲しみや苦しみ、怒りの体験、傷つくことや大きな困難に見舞われることがあると思います。
そうでなくても、どこから湧いてくるのか分からない強い感情に突然突き動かされるように振り回されてしまったり、結果として大切なものを失ったり自己嫌悪に陥ることもあるでしょう。
と言いながらも、私にも経験があります。
信じていた人が離れていってしまった時、胸に抱いていた夢や希望が叶わないと思い知らされ、あきらめざるを得なかった時、
自分の力では、どうにもならないことがあるのだと知った時。
今となっては懐かしくも愛しい想い出ばかりですが、その当時は食べることもままならなくて体重がひどく落ちた挙句生きる気力まで失ったり、
逆に見ないふりをしてがむしゃらに何かにのめりこんだり、1日中同じ場所から動けなかったり、
外では元気に振る舞えても、家ではひたすら眠ってみたり・・・とにかく乗り越えるまでのプロセスがいろいろありました。
そういった心の傷は、ひとりではなかなか乗り越えることが難しくても、
誰かと分かち合ったり、サポートしてくれるグループやカウンセラー、セラピストなど、
安全が確保され、安心した状態で自分の傷と向き合える場所も、最近では数多く見受けられます。
そうして、度々訪れる困難を乗り越えられるような強さや優しさを、
互いに助け合い、学びを得ながら養っていくことが、真の癒しへとつながるのではないかと考えています。
ですので、「ひとりで抱え込まない」ということはとても大切なことだし、そういった場所があることは、本当に素晴らしいことです。
傷とキズナ
しかしながら時々、癒されたいと言いながら、この傷をなかなか手放せない状況に陥っている方がいらっしゃるのも事実です。
というのも、もしもこの傷を手放してしまったら、孤独になってしまうのでは・・・という恐れがあることが、原因のひとつだと考えています。
例えば・・・これは例えになっていないかもしれませんが、彼氏がいない者同士で集まった女子のグループで、
「ずっとうちらだけで一緒に楽しもうね~」と言いながら、うっかり彼氏ができてしまった場合。
なかなか言い出せなくて苦しむ・・・。
言ってしまったら、もう仲間でいられなくなってしまうのではないだろうか?みんなといる資格を失ってしまうのではないだろうか?・・・と、本当は彼氏ができて幸せなはずなのに不安になってしまうような。
例えば・・・入学したてなのに骨折してしばらく入院した後、ギプスをしてドキドキしながら登校したとき。
クラスのみんながとっても親切にしてくれて、注目されて。
できないことがあっても代わりにやってくれたり、休んでいたから分からなくても許されることが心地よくなってきて・・・。
だからこそ、このギプスがなくなってしまったら・・・と考えると、健康な身体を取り戻せて喜ばしいことなのに、気分が落ち込むような。
・・・すみません、なんとなくお分かりいただけましたでしょうか?
あまりにもリアルな例えだと・・・と思ったらこんな例えになってしまいました(笑)
分かりづらい例えだったかもしれませんが、
人とのつながり、すなわちキズナをつくる時に、最初に傷ありきで構築してしまうと、
後々とても厄介なことになるということをお伝えしたかったのです・・・伝わりにくかったら申し訳ないです。
傷のキズナとコントロール
それからもう1つ厄介なのが、傷のキズナによって他人をコントロールできてしまうことに気づき、
妙に味を占めてしまった場合。
「ごめんなさい、私○○なので、時々不安定になるんです。(だから失礼なこと言ったり不機嫌になったりヒステリックになったりしても許してよね)」とか、
「私、○○だから、それは聞きたくないんです(それはやりたくないんです)。」とか。
「○○と闘っているんです。だから・・・」
いや、良いんですよ。本当につらいときは、つらいって言っても間違いではないです。
そうやって自分を守らなくてはならない時もあります。
ただ時々、その傷にしがみつくというか、依存するというか、
それを利用して?自分の居場所をつくっているというか、逆に言えばそこにしか居場所を見いだせなくなっている方もいらっしゃるようで、それがとても心に引っかかるのです。
傷と認識することの大切さ
確かに、傷のキズナだからこそ許される、認められるという状況は、かなり居心地が良いでしょう。
しかしこの先、この「傷」に人生を支配させて、果たして良いものなのでしょうか?
過去の傷と照らし合わせて、新しい環境に飛び込むのを躊躇したり、
人を信用しなかったり、仕事に前向きに取り組まなかったり・・・
可能性を喜んで受け入れることを、思い込みで諦めてしまって良いのでしょうか?
とはいえ、過去の傷に何かしらの影響を受けることは仕方がないと思います。
私も、決して思い出さない訳ではありません。
それでも、過去の傷にエネルギーを持っていかれるのは勘弁です。
それに人生をコントロールさせるのではなく、
自分の人生は自分で選んで、変化していかなくてはなりませんから。
そして、たとえ癒されたとしても、元気になったとしても、
それで終わりではなくて、その状態をこれからも維持していくための「癒し」はずっと必要になります。
また、傷がなくても(癒されていても)、家族や友人の存在は必要不可欠です。
癒しとは、決してひとりぼっちになることではなく、ひとりで立ち向かっていかなくてはならないものでもありません。
変化を恐れず、手放すことを恐れず、もしも今、冷たく激しい雨が降り続く状況であったとしても、いつか必ず止む時が来ます。晴れの日もあれば、雨の日もあるものです。
その時々の気持ちを味わいながら、常に変化し、誰かの役に立ち、そして優しくありたいものですね。
みなさんの毎日が喜びで満たされますように・・・
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