全ての気功は、遠隔気功です。気功師の掌から気を出すとして、気功師の掌から患者さんの体までの距離が5cmだろうと5光年だろうと何も変わりません。気とは、そういうものなんですね。気が届くのは量子通信ではないか?とまで言われてる位ですからね。昔は掌から気を出すだけでも、何年も修行をしなければなりませんでした。今では、一瞬で終わりますがね。そもそも、誰の掌からも既に気は出てます。それを知るか知らぬか、認めるか認めぬか。ただただ、それだけの事です。知って認めたならば、後は好きにすれば良い訳なんですからね。
占師のやる事は、卜と口だけではありません。実はコッソリと、客さんの内部表現を書き換えてます。だから客さんは占いを受けるだけで、心と頭と体がスッキリとするんです。そういった点では、占いもまた気功と言えるでしょうね。私達は決して、運命の従属者ではありません。私達は皆、運命の創造者なんです。心と頭がスッキリして初めて、私達は我がの運命の創造をやれます。我がの未来に期待して、初めて私達は我がの生を樂しめます。夢や望みを諦めた人と夢や望みが叶った人は・・・約18ヶ月で命を落とすというデータも在りますしね。
お祓いにしても気功にしてもそうなのですが、施術中に何も感じないというクライアントさんも多いです。でも、何も案じる事は在りません。例えば気を当てられてる肩に何も感じなかったとしても、肩の痛みが取れればそれで良いんです。逆に気を当てられてる肩に何かを感じたとしても、肩の痛みが取れなければ何の意味も価値も無いんです。お祓いも気功も、ゴールセッティングが肝です。ゴールもセッティングしないで、何を祓えば良いのでしょうか?ゴールもセッティングしないで、何に気を送れば良いのでしょうか?全ては、ゴールなんです。
催眠術のゴールは樂しむ事です、催眠療法のゴールは癒す事です。占いにもお祓いにも気功にも、ゴールは在ります。真のゴールとは、ゴールそのものです。釈迦さんは、歩く為に歩いてました。つまり人は、生きる為に生きよという事です。ゴールへ己を進める、その姿が美しいんです。体や心を病んでる人に足りないのは、美しさです。命の煌めき、それこそが美しさです。そしてそれは、ゴールを決めてゴールへ向かう事でしか得れません。生まれたばかりの赤ちゃんが煌めいてるのは、正に生きる為に一生懸命に生きてるからという事なんですね。
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