保育園の待機児童の問題とか、保育士さんの給料の問題とか・・・まぁ、色んな問題が在りますよね。結論から言うと、保育園や幼稚園も義務教育にしてしまえば良いんです。更に、高校や大学や大学院も義務教育にしてしまえば良いんです。但し、義務教育の義務とは親が子に教育を受けさせる義務です。決して、子が教育を受ける事が義務なのではありません。学ぶ気の無い子は、中学だろうが高校だろうが辞めて頂きます。でも再び学ぶ気が起きたら、何歳だろうと復学して頂いて構いません。そもそも学びって、学びたいから学ぶものですからね。
今の世には、中卒だとか高卒の子も多いです。僕は決して、中卒さんや高卒さんは差別しません。しかしながら「俺は中卒さんや高卒さんを差別しないけど、未だ世の殆どの人は中卒さんや高卒さんを差別するよ」とは我が子に言うでしょうね。それでも我が子が中卒や高卒という道を選ぶなら、何も言いません。まぁ高卒資格や大卒資格なんて、その気に成れば後から幾らでも取れますからね。嫌々、親に命じられて学校に通う。それって、何の意味も価値も在りません。子が真に心の底から望んで学校に通わないのであれば、無意味で無価値なんです。
例えば今の所、教師に成りたかったら教員免許を取るしか在りません。そして教員免許を取る為には、基本的には大学の教育学部を出るしか無い訳です。全ては、ゴールなんです。ゴールさえ決めれば、プロセスやシナリオなんて自然と勝手に見えてくるんですね。見えてこないんだったら、もっとワクワクとするものにゴールを換えれば良いんです。若しくは、テクニックを使ってゴールの臨場感を上げれば良いんです。ゴールは、世界です。ゴールの世界の臨場感を上げてワクワクすれば、自然と勝手に私達の脳はゴールに向けて動き始めるんですね。
肝は『自然と勝手に』という点なので、がんばりや努力なんて要らないんです。がんばりや努力とは『嫌々、人からやらされる事』を指します。幼い子が世を徹してゲームで遊んでも、親は褒めてくれない訳です。むしろ、叱るでしょう(笑)でも無我夢中に成るものがゲームではなく勉強だったら、親は喜ぶ訳です。でも子にとって勉強がゲームと同じ位やりたい事だったら、親から褒められても子は「?」でしょうね。好きな事って、人から褒められる為にやってません。ゴールへ向かう事ほど、幸せで樂しめる人生なんて他には無いという事ですね。
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