私は今、椅子に座ってこのブログを書いてます。時には胡座を組んで、床に直に座って書く事も在ります。椅子を使うか使わないかは別にして、座った事の無い人は居ないのではないでしょうか。勿論、赤ちゃんなら座れない時期の子も居ますがね。世には、とても座り心地の良いとても高級で高価な椅子も在ります。そこまで椅子に拘らないにしても、やはり誰しも快く座りたいものですよね。でも、そもそも座るとはどういう事なのでしょうか。当たり前の事なので、余り考える事も無いかもしれません。今回はちょっとだけ、座る事を考えてみます。
そもそも2本の足で立つという事は、実はとても高度な事なんです。それは重力だとか何やかんや、色んな事を計算しなければならないからです。勿論、これは脳が無意識で計算してる訳です。だから私達は、立ってるだけで脳も体も疲れるんです。じゃあ、寝れば良いじゃないかという声も聞こえてきそうですね。体を横にすると、耳の奥に在る三半規管がそれを感知します。そして体を、寝るモードに切り替えてしまいます。まぁ脳や体を休めるなら全く問題は在りませんが、寝るモードだと何かを考える時には全く以って向いてない訳なんですよね。
だから、座るという行いが生まれたんです。つまり座るとは、折衷案なんですね。ものを考えるには座って考えるのが最も良い訳ですよ、少なくとも今の所は。まぁ人に縁っては、歩きながら考え事をするのが好きな人も居ますがね。とは言え折衷案ですから、座るも穴が無い訳ではありません。ずっと座ってると、尻が痛く成りますよね。そのまま座ってると、尻は壊死します。だから脳は無意識的に、尻を常に微妙に動かし続けねばなりません。これが立ってるなら壊死する可能性が在るのは足の裏だけですので、まぁ壊死の心配も少ない訳なんです。
とまぁ、この様に完璧ではない座るという行い。しかしこの行いも、科学の進歩と共に消えてくでしょう。さっきも書きましたが、座るはあくまでも折衷案です。進化した技術に縁り、体を横にしても眠るモードに成らなくする事も可能かもしれません。それ所か重力のコントロールが可能に成れば、もう『立つ』も『座る』も『体を横にする』も無くなるでしょう。常にフワフワと浮いてる状態、されど体はキチンと安定してる。そんな夢の様な技術が、いつか生まれるやもしれません。いやはや、早くそういった技術が開発されて欲しいものですよね。
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