王様と奴隷

Fortune Tarot

変換

仏教の人は、惨めさを別の物に変換します。例えば滝に打たれて辛く苦しい思いをして、惨めさを忘れるんです。例えば山に籠って悲しく寂しい思いをして、惨めさを忘れるんです。それは惨めさよりも、辛さや苦しさや寂しさや悲しさの方が見るに耐えれるからです。とは言え惨めさよりもマシと言うだけで在って、辛さや苦しさや寂しさや悲しさも心の翳りでしか在りません。翳りならば、認めねば前には進めないんですね。辛さや苦しさや寂しさや悲しさを認める位なら、もうちょっとだけ踏ん張って惨めさを認めちゃった方が楽だったりしますね。

無視

キリスト教の人は、惨めさを無かった事にします。だからキリスト教の人は、惨めさを感じる度に教会に行きます。そしてそこで懺悔して、悔い改めてスッキリする訳です。神さんの名の下に汝を許そう、的な感じです。心がスッキリすれば、元気が湧き前へ進めます。そういった意味では、仏教の人より良いのかもしれません。でも無かった事にしても、認めるまでは同じ様な事が起き続けます。確かに神さんは優しいので許してくれますが、ソレはソレでコレはコレ。課題はクリアするまで、それこそ死ぬまで同じ課題に挑み続けなければなりません。

宗教

宗教とは『統治(支配)の為の思想学』で、早い話が宗教とは哲学です。その昔、奴隷制が敷かれてる頃。王が奴隷を酷使するので、奴隷の自殺が絶えなかったんです。そこで王は、何人かの臣に「奴隷が自殺しなく成る様にしろ」と命じます。せっかく金で買った奴隷に自殺されては、もったいなかったんです。そして王に命じられた臣達は、1晩だけ考えて王に伝えました。「地獄、という設定を作りませんか?自殺すると今より更に辛い、地獄という所に堕ちる。だから、自殺するな。」この案を気に入った王は、この設定を我がの国に広めました。

霊能

結果として奴隷の自殺者は減り、宗教という物が生まれた訳です。これに気を良くした王と臣は、更に設定を付け加えました。「輪廻転生という生まれ変わりシステムが在り、今世で奴隷なら来世でも奴隷だ。」とか「家計の因縁というシステムが在り、奴隷の子は奴隷だし孫も奴隷だ。」とか、ヘンチクリンな設定を作り続けてきました。これはあくまでも、ほんのちょっとしか居ない権力者・支配者の都合の良い設定です・・・この名残というか、この設定は今でもビッチリと働いてます。例えばインドのカースト制度なんかが、まさにそうですよね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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