観ッ!

Fortune Tarot

大乗仏教には『空観』と『仮観』と『中観』という、3つの考えが在ります。釈迦さんは、縁起を悟りました。縁起とは、存在ではなく関係を認めるという事です。つまり存在なんて、無いんだよという事です。でも存在には実体が在るから、それは『無』とは言い難い。じゃあ、無ではなくて『空』な訳です。空とは、有と無を包括する概念です。空の中には、有も無も在ります。あの涙を堪えれない映画も手に汗を握る映画も、所詮は光でしかない訳です。でもそんな幻みたいな映画を観て感動したり興奮したりした、その印象は確かな物なんですね。

仏教の悟りとは、縁起を知り空を悟る事です。空を知り縁起を悟る事、でも構いません。そして大乗仏教では、更に解り易く悟れます。それが『空観』と『仮観』と『中観』を、悟る事なんですね。空観と言うのは、さっきも書いた通りです。我がも幻、我がを除く全ての人も幻。全ての物も幻、全ての事も幻。何もかもが幻、何もかもが空。だから何かに囚われたりしちゃあ、苦しいだけですよという話です。幻は私達を囚えようとはしません、私達が勝手に幻に囚われるだけ。それって何だが、変な話。そういうのは、もう辞めましょうという事です。

でも、そんな幻も捨てたもんではないんじゃないかしら。だって私達には心が在るんだもの、作り物の映画にだって感動しちゃうし興奮しちゃうわ。それに私は娯楽として映画を観る、つまり映画に娯楽という役を与えてる。でも映画監督に成りたい人は私と同じ映画を観ても、娯楽ではなく教材という役を与えるでしょう。その役は縁起の数だけ在り、縁起が移り換わる様に役も換わる。つまり仮の役でしかない訳で・・・だから仮観なんですね(笑)縁起を尊ぶんだったら、私が見い出してない他の人が見い出した仮の役も尊ばなくちゃという事です。

でもこの空観と仮観、ちょっと捉え方を誤るとトンデモナイ事に成ります。この世は空なんだ、幻なんだ。じゃあ、テキト〜に生きちゃえば良いじゃん。と言う様な考えに、至ってしまい兼ねません。また全ては空で幻なんだから、好き勝手・好き放題に暴れても良いんだと言う様な考えに至ってしまうかも。また仮観は仮観で、気を付けなければ成りません。金は在れば在るほど良い、領土は広ければ広いほど良い。俺は王様という役なんだ、と考える輩が現れれば・・・この世の至る所で戦争が起こるでしょう。空観も仮観も、それでは困るんですね。

じゃあどうすれば良いかというと、中観で生きれば良いのです。空観と仮観のバランスを整えながら、巧く生きるんです。「え、そんな都合の良い生き方をして良いの?」と仰られる方も居られるかもしれませんが、そんな都合の良い生き方で何の問題も在りません。むしろ全ては空だと知り仮の役を樂しむ、そんな縁起を解ってる人だからこその生き方です。全ては空から縁起に依って、紡ぎ出された物です。そんな一時的で流動的な物に、絶対なんて在り得ないんです。じゃあ、軽やかに生きれば良い訳です。その場その場で、周りの人を喜ばせつつ。

という訳で大乗仏教の悟りとは、空観と仮観を知り中観を悟る事です。そのポイントもまた、縁起と空な訳ですね。縁起とは、存在ではなく関係を認める事。縁起とは、絶対は無いという事。縁起とは、全ては空で実体が無いという事です。そして縁起という考えを出して生きるとは、人を喜ばす生き方です。縁起という考えを出してる人は、偏見を持ってません。つまり、色眼鏡を掛けて人を見ません。でも、己と人の違いを認めれる人です。そして肩書等のネームバリューに、価値を見い出しません。決して容姿や言語で、人を差別したりはしません。

縁起とは、関わりの結び目とも言い換えれます。その結び目が集まって、我がを作ってる訳です。じゃあその結び目を解いて別の結び目を作れば、我がが換わります。我がが換わるという事は、我がを取り巻く人・物・事も換わる訳です。それも、勝手に自然と変わります。縁起を重んじる人は、人間関係等の環境を換えません。ただただ、縁起を換えるんです。何だか魔法の様な話ですが、本当の話なんですよ(笑)縁起は、科学的にはホメオスタシスと言います。そしてホメオスタシスは、恒常性維持機能の事です。つまり、現状維持メカニズムです。

縁起は今の貴方の状態を、維持してます。心の状態も体の状態も縁の状態も財の状態も、一定間隔で揺らぎながら貴方の今を維持してる訳です。その縁起を、ガバッと換えるんです。人生が変化しない訳が無いですし、むしろ縁起を換える事でしか人は変化しません。換わっても、初めの内は元の縁起に戻ろうとする力が働くでしょう。それを乗り越えれば、新しい縁起の状態が当たり前に成ります。その状態を維持するのに何の努力も要らないばかりか、前の縁起を思い出す事も難しく成ります。それこそが人生をレベルアップさせる、という事ですね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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