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Fortune Tarot

地獄にも、作法が在ります。それも現世より、厳しい作法が。まぁ、地獄の作法です。地獄では、食事の作法も厳しいですよ。地獄で飯を食う時に使う箸は、めっちゃ長いんです。重さはそこまで重くないのですが、とにかく長いのです。なので皆さんもちょっと考えて頂くと解ると思いますが、当たり前ですが普通に飯なんて食えません。地獄でも飯は出る、でも箸が長くて食えない・・・流石は地獄、飯にさえ夢もヘッタクレも在ったもんじゃありません。むしろ初めから飯なんて出さなければ良いのに、地獄とは何ともサディスティックな所ですね。

でも安心して下さい、地獄には地獄の飯の食い方が在ります。答えから言ってしまうと、先ず他の人と向かい合う訳ですよ。そして我がの箸を使って、もう1人の口に飯を運んだげれば良い訳です。そして我がの食う分は、もう1人に食わせてもらえば良い訳です。そうなんです、助け合えば地獄でもチャンと飯は食えるんです。むしろ地獄での食事は、この事を学ぶ為の試練なんですね。まぁ地獄に落ちる様な方々は、こんな事に気が付くのも難しいんです。我がの事を考えるのは悪い事ではありませんが、我がの事だけを考えてちゃいけないんですね。

我がの事しか考えないのは、とても危ないです。金は在れば、在るほど良い。領土は広ければ、広いほど良い。そんな事を考えてたら、戦争が起こります。と言うか、既に至る所で起こってます。仏教の般若心経を使って考えるなら、色(有=物)は空(実体が無い)なんです。まぁ空は色ではないのですが・・・それは別の機に話すとして。実体が無いものに囚われては、我がだけでなく人も滅ぼします。そしてやがて、世を滅ぼすでしょう。これは実は、大乗仏教の仮観という考え方の悪い所を書いたんです。でも、仮観にも良い面は在る訳なんです。

仮観(けがん)には、仮という字が入ってます。私達を含む世の全てのものには、実体が在りません。でも私達は時間と空間の中で、色んな役を担ってますよね。妻の前では夫という役、子の前では父という役。会社に行けば従業員という役、飲み屋に行けば客という役。この様にその役は状況に縁って換わるので、あくまでも仮の役な訳です。つまり、ごっこ遊びみたいなもんです。でも、一生懸命に遊ぶんです。遊ぶという語が気に入らないなら、尊ぶという語を使えばどうでしょうかね。我がが担う役も人が担う役も、全ての役を尊べば良いんです。

仮観には、対が在ります。それが、空観(くうがん)です。つまり世の全ては、空だと悟るんです。世の全ては実体が無いのですから、囚われてもしょうがないんです。空観が悪い方に転べば、無気力人間に成ります。全ては空なんだから、適当に生きれば良いという考えです。またその逆に、とても危ない奴も生まれます。「俺も空なら、人も空。だからムカつく奴は、殺してしまえ」的な。「良いじゃん、どうせ全ては実体が無いんだからさ。」どちらに転んでも、とても危ないです。仮観も空観も、1つ誤ればとてもとても危険な思想なんですよね。

この仮観と空観のバランスが崩れてしまったが故に、占いを受けに来られる客さんは多いです。じゃあ仮観と空観のバランスを整えれば、問題は解決するという訳ですよ。仮観と空観のちょうど良い所を取ったものを、中観(ちゅうがん)と言います。仮観・空観・中観は、大乗仏教の考え方です。大乗仏教の悟りは空で、皆さんも御存知の般若心経も大乗仏教の経です。大乗仏教には、2人の天才が居ました。1人はナーガールジュナという人で、もう1人はチベット仏教のツォンカパという人です。どちらも、空への理解をグッと深めた人なんですね。

でもさっきの空観の所でも書きましが、空は考え方に縁っては何の役にも立ちません。空とは、世の全てのものよりほんのちょっとだけ情報量の少ないものです。ただそれだけで、何の役にも立ちません。そして空は考え方に縁っては、危険な思想です。その昔、ドルジェタクという僧が居ました。この人は「俺も空で人も空なんだから、好き放題に生きてやる」と言って呪いの技を極めました。空とは、扱いが難しいんです。でもそれは、偏った空しか知らないからです。空とは本来、体感・体験なんです。そしてそれは、瞑想せねば得られないんです。

瞑想の1秒もせず学習しただけで空を語ったり、逆に学習の1秒もせず瞑想しただけで空を語る。それでは、空を解れないという事です。今の世には、多くの本が溢れてます。知を得るのに何の苦も伴いません。経験は宝ですが、それだけで物を語るのはいかがなもんでしょう・・・逆に体験が伴ってない知識に、何の意味と価値が在ると言うのでしょう・・・学習はインプット、行動はアウトプット。それは空観と仮観を、巧く行き来する様なもんです。そんな中観的な生き方を誰もがやれる、今の日本人の多くはそういった環境に生きてるのですから。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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