まずは自分が幸せになること
その人の幸せは、その人が自分で選んで感じるものです。
たとえ家族であっても、その人の幸せを決めつけたり左右することはできません。
自分の幸せには自分で責任を持つことです。
いちいち誰かの顔色をうかがって生きるなんておかしなことなのですが、それに気がつかないで(当たり前になり過ぎて麻痺して)いる人がいます。
自分の幸せを後回しにして(見ないふりをして)、他人の幸せを左右することに全力で生きている人がいます。
自分が幸せだと思えないのに、他人を幸せにしてあげようと他人のために努力するのは気が早いと思われます。
(それってどこか矛盾してませんか?)
私たちが責任を負うのは、他者の人生ではなく自分自身の人生です。
それを他人から制限されているのであれば、考え直す必要があるということです。
誰もあなたを縛り付けることなどできません。あなたが誰と付き合おうと、何を食べようと、何処へ行こうと、いつだって自由なのですから。
見えない足枷が一体何なのか?「大事にしなくてはならない」と思っていることが、本当に自分の人生にとって大切にしたい必要なモノなのかをきちんと見直すことです。
そうでなければ何かが心に引っかかって前に進めません。
「その何か」を見ないふりして生きるのもアリですが、きっとスッキリしない人生を過ごすことになるでしょう。
恥ずかしいと思う必要はない
「どんなあなたであっても好きだ」と言ってくれる人はいるはずです。
だから、相手に体裁を取り繕って関わる必要はないのです。
親がどうあれ、兄弟がどうあれ、あなたはあなたです。
もしもあなたに愛する人ができたとして、
その人のご家族が病であったり、かなり個性的な人であると知ったとしても、すぐに嫌いになることはないと思いますが、いかがでしょうか?
「親はこうあるべき」、「このくらいの年齢の女はこうあるべき」、「そうでないと恥ずかしい」というその思い込みもしっかりとあなたの自由を拘束しています。
何も恥ずかしいことなどないのです。
むしろそういった縛りにとらわれて、自分らしく生きていないことの方が(私だったら)恥ずべきことに感じます。
あなたの命の時間は限られています。
もしも仕事や家族やお金の問題など、何も縛りが無かったとしたら、有り余る時間やお金があったとするなら、この人生であなたは何処へ行って何を残したいですか?どんな人に逢いたいですか?どんな幸せを誰と分かち合いたいですか?
夢を見るのに誰かの許可など必要ありません。
やりたいことをやるために、お伺いを立てるのは「自分自身の覚悟」に対してです。
何か(誰か)のせいにして覚悟を決めることができないままなら、厳しいようですがそれなりの人生だと思います。
このままの人生が嫌だからモヤモヤしているのなら、早く幸せになる覚悟を決めることです。
子どもは親の持ち物ではない
子どもの人生は子どものモノです。
もちろん、ある程度の年齢までは1人で生活していけないですし、育てる親の責任になります。
子どももいつまでも親に自分の人生(身の安全)を預ける必要はありません。
生んでくれてありがとうという感謝の気持ちは大切ですが、だからといってご自身の人生まで両親に差し出す必要はないのです。
両親のもとに生まれてあげたあなたは、すでにきちんと役を果たしているのですから、親からすれば生まれてきてくれてありがとうなのです。
大人になった今、あなたは堂々と自分の人生を生きて良いのです。
しかし成人して、それこそ10年以上たっても子離れできていない親御さんたちが、残念ながら実在しているのだと感じざるを得ません。
「何処にいて何をしているのか?何を考えているのか?どんな人たちと関わって何が好きでいるのか?」常に監視したがったり、声を聞いたり行動を把握していないと不安になったり・・・ここまでくると執着というか依存というか。
これも「親はこうあるべき」「子どもはこうあるべき」という良く分からないその人の価値観に囚われ過ぎているからかもしれませんが、どちらにせよ後に残る子どもが不幸になることを分かっていない、「自分さえ良ければ(安心できれば)よい」という身勝手な考えが根底にあるのではないかと感じずにはいられません。
「うちの子は大人になっても何でも話してくれるから」という親御さんは、子どもにそう仕向けるような子育ての仕方をしてこなかったかを考えてみられると良いかもしれません。
「何でも話しておかないとめんどくさいから」とか、「心配させてはいけないから」とか思い込ませていないか?ですね。
「余計なことを聞かれたくないから当り障りのないことをたくさん話して、大事なことは上手くはぐらかす。」というお子さんもいらっしゃるようです。
心配なのは、親の依存や束縛を「親の愛情だからありがたいと思わなければならない」と子どもが思い込んでしまっている場合です。
「気がついたら何も無くてひとりぼっち」ということになりかねません。
ある程度の年齢になったら、ご自身がそうであるように何をしても親のせいではなく先ずは自己責任になります。
幸せになろうが失敗しようが直接は子どもが責任をとることになるのです。
親が変わってあげられたらなんて、きれいごとでしかありません。
何か問題が起きた場合「こんな風に育ててしまった自分がどうかしていなかったか?」を考えるのが先です。
子どもの夢や希望、好みのタイプまで、親の価値観で「これは良い(合う)」「これは悪い(合わない)」と決めつけるのはナンセンスです。
自分がされたら嫌なのに、良かれと思って平気で自分の好みや希望を子どもに押し付ける人が結構いらっしゃるのには驚きます。
しかも暗に従えと言わんばかりに。時に心配を装って余計な不安を避けるために。
「良かれと思って」「子どものためを思って」が前提なので余計厄介です。
あたたかく見守ること、信じて陰ながら応援することって、そんなに難しいことではないと思うのですが・・・
よちよち歩きでいつ転んでケガをするか分からなくて目が離せないあの頃とは、もう違うのですが、幾つになっても「転ばぬ先の杖」をいつでも出してあげようと、子どものためと思って監視し続ける親御さんもいらっしゃるようです。
それって結局、子どもを含めた自分の人生が、自分の思い通りにならなくなることが怖いだけではないですか?
しかも「転ばぬ先の杖」と言いながら、結果的にその杖自体が子どもにとっての障害になることも十分考えられるのですが・・・
それでもそうしてしまうのはもしかして、口では幸せを願っている応援していると言いながら、本当は心のどこかで子どもが自分よりも自由に生きて、幸せにキラキラと輝くことが許せないからではないですか?
子どもの人生は子どものモノです。あなたのモノではありません。
あなたの幸せと子どもの幸せは全く別物です。
どうか(すでにいい大人になっている)子ども自身に自由に決めさせてあげてください。選ばせてあげてください。
そして、何処へ行こうがあなたのお子さんが幸せになるために覚悟を決めたことに対してそれを誇りに思い、そっと背中を押して、あとはあたたかく見守ってあげてください。
どうせいつかはどちらかが先に時間切れとなって、夢や希望とも(いやでも)お別れすることになるのですから。
そして、しつこいようですが、
あなたの幸せはあなた自身で決めて生きてください。
他人の人生は他人のモノです。
あなたは今、自分で選んだ幸せを生きていますか?
追伸・・・
こういったことを自問自答しながら、いろいろな生き方について考えては姿勢を正す毎日です。
その人がその人らしく生きる世の中を。
その人の本質を生きるお手伝いを。
「おちこんだりもしたけれど、私はしあわせです。」
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