宗る

Fortune Tarot

縁起と空、仏教に於ける悟りって奴です。縁起を悟ったのは、釈迦さんです。空を悟ったのはナーガールジュナさんとツォンカパさんです。縁起は、存在でなく関係を認めるという事です。つまり関係は在っても、存在は無いんです。自己紹介をして下さいと言われると概ね人は、氏名や住所や仕事や趣味を仰られます。でもそれ等は全て、我がと関わってる人・物・事との繋がりについて言ってるに過ぎません。他の人・物・事と絡めなければ、我がについて言えないんです。だから縁から起こるで、縁起なんですね。これが、釈迦さんが悟った事です。

じゃあ、空ってなんだという事ですよね。存在は無くて関係しか無いなら全ての人の本質なんて無い、という事に成ります。でも他の人・物・事との関わりは在りますし、他の人・物・事その物は確かに在る訳です。つまり、有は有でチャンと在るんです。全てが無、という訳では無いんです。という訳で、有と無を包括する概念として空が在る訳なんです。空の中には有と無の、どちらも含まれてます。因みに有の事を、仏教では色と言ってますね。有と無を合わせた全ては、空で在る。これが、ナーガールジュナさんとツォンカパさんの悟った事です。

仏教に於ける愛は、慈悲です。慈悲とは、抜苦与楽の事です。苦を抜き楽(喜び)を与える、それが仏教の愛です。キリスト教の愛は、アガペです。アガペは隣人愛の事で在り、博愛の事でも在ります。因みに仏教の一派の大乗仏教の教えは、キリスト教の教えと殆ど同じです。早い話が、死んだ後に良い所へ行こうという教えです。キリスト教なら天国、大乗仏教なら浄土ですね。その為に自力を徹底的に排除して、キリスト教なら神さん仏教なら仏さんに全てを委ねなさという事です。つまり本当の意味での、他力本願こそが悟りという訳なんですね。

確かに、神さんも仏さんも凄いですよね。いつもは誰にも頭を下げない様な傲り昂った人でも、どん底まで堕ちると神さんや仏さんには縋り付きますからね。ただ仏教の開祖と言われてる釈迦さんは、神さんや仏さんについて何も言ってません。霊や死んだ後の事についても、何も言ってません。「見えぬ事や死んだ後の事より、今をチャンと生きようよ」と釈迦さんは仰られてました。だから仏教には、釈迦さんの言ってる事を記した本は在っても神さんの言ってる事を記した本は在りません。そういった点では、仏教は宗教ではなく哲学なんですよね。

ユダヤ教は、旧約聖書とタルムード。キリスト教は、旧約聖書と新約聖書。イスラム教は、旧約聖書とコーラン。そしてモーセさんの十戒なんかも、神さんから託された物ですよね。でも仏教の経典には、釈迦さんの言ってた事が記されてるだけです。そして釈迦さんは仏陀(悟った人)では在っても、神さんでも仏さんでも在りません。密教の釈迦如来さんと言うのは、後から作られた物ですからね。因みに本来の釈迦さんの教えから考えれば、仏教的葬式は誤った行いです。仏教の開祖の釈迦さんは、死んだ後の事は考えるなと言ってたんですからね。

そう言った事を考えると、偶像崇拝もどうなんだって話ですよね。ユダヤ教の教会には、場を照らす為の蝋燭立位しか在りません。美しいステンドグラスさえも、無い訳です。イスラム教でも、偶像崇拝は禁止。キリスト教も、イエスさんは偶像崇拝は禁じてました。仏教に於いては、そもそも宗教ではないので偶像崇拝は無し。でも仏教の中の密教の様に、釈迦さんの教えを解り易く民に伝える為なら已む無しかもしれませんね。密教には多く仏さんが居られ、儀式等も多く在ります。まぁ人ってな、やはり目に見えた方が解り易い生き物なんですよね。

でも、ですよ。例えば、木で掘られた仏像。「こちらはただの仏像ではなく、仏様の魂が宿ってるのです」なんて仏像も在るそうです。じゃあ、何十年か働いて頂いたら自然に返されたらどうでしょう。ただの仏像なら、美術品としてキチンと保管するべきでしょうが・・・仏さんの魂が宿られてるなら、それは生きてる人と変わりません。ずっと働かせるなんて、酷くないですか。イエスさんが磔にされてる、ロザリオも然りですよ。いつまでイエスさんを、磔にしとくつもりですか。イエスさんが好きなら、そろそろ十字架から降ろしたげましょうよ。

宗教は縋る物でなく、哲学として生きる標とする物です。それがやれる方にとって、偶像崇拝や宗教的儀式は何の問題も在りません。でも神の名の使い神の名の下にテロを起こす輩って、どうなんでしょ。どうなんでしょと言うか、おかしいですよね明らかに。その責任の一端は、宗教に在るでしょう。キチンとした宗教を伝えなかったばっかりに、おかしな輩が増えてしまった訳です。日本だってそうです、そもそも日本は仏教国。チャンと仏教教育してれば、オウム真理教のテロも起きなかったはず。今こそ、宗教もレベルアップする刻が訪れてます。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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