好きなことを訊かれてすぐ返事できますか
時々、「好きなものが何か分かりません」というお悩み相談があります。
『好みや希望を訊かれた際に、「何でも大丈夫です」と適当に他人に合わせ続けてきたせいか、好きな人に「〇〇の中で何が好き?」と質問されても、パッと答えられなくて・・・。』
とのことですが・・・
もしかすると、本当に自分にとってどうでもいいことだから「何でも大丈夫です」とお返事されていたのかもしれません。
もしそうであれば、そもそもその人にとってそれらのことが「好き」とか「嫌い」とかいう存在じゃないのだと思うし、そうであれば、別に「何か1つこだわりをもたなければならない」と焦る必要はないのかもしれないな・・・と思う事も在ります。
もしくは、立場的に逆らえなくて、上手くやっていくために嫌われたくなくて、「何でも大丈夫です」と合わせるしかなかった・・・というパターンもありえます。
そうだとすると、無意識に「自分には選択肢など無い」という刷り込みをし続けてきた、と受け取れるかもしれません。
「好きなことが浮かばなければ、まずは嫌いなことを探せばよい。」とよく言われます。
嫌いなモノというか、興味が持てないモノ、でもこの際、良いです。
無料でご招待されても、あまり気が進まないな~というものも、たぶん現時点での「好き」には入らないでしょう。
私もなんでもいい人でした
ここからは余談ですが・・・
かつて主婦だった頃、家族に「今日は何食べたい?」と訊いて、「なんでもいい」と言われるのが苦痛でした。
「なんでもいい」という割に、
「じゃあ、カレーにするね!」とこちらが言うと、「えー、それは嫌かな。」という・・・。
「だったら最初からちゃんと言えや!」と、あの当時は憤慨していましたが、よくよく考えてみれば、
「今日は何を食べたくない?」と訊いた方が早かったのではないか?と反省する自分がいます。
思い起こせば最近の自分も、
自分に対して「今日何食べようか?」「うーん、正直、何でもいいんだけど・・・どうする?」という、地味なセルフトークを繰り広げがちです。
お腹が満たされればもう適当でいいや、となるときは、食べる量も少なくなるので、本当に適当になります。
自分のために、となると、その時の気分次第になってしまいがちですし、洗い物が少なくて、調理も楽なレシピに偏りがちです。
それでもよく考えてみると、そのおかげで「自宅では登場しないお料理を外で食べる」という楽しみはできました。
好きは変わっても大丈夫
ちなみに、趣味も好きなことも、ころころ変わって良いと思います。
何が正しくて何が間違いという世界ではないので、いろんなことをやってみて、楽しんだもん勝ちだと思っています。
私の場合は、まだまだ「知らず嫌い」なことも多く、最近でいうと、ちょっとだけプロレスの世界に興味が持てるようになりました。
個人的に、見ていて痛いのが本当に苦手で(わざと痛い思いを自分からしに行くように見えて怖かった)、小さい頃からテレビでやっているのを見ると、布団の中にもぐりこむくらい嫌でした。
「あの人たちは、何が好きであんな痛いことを全身で受け止めているのだろう・・・。」と理解不能でしたが、最近、プロレスラーさんたちの素顔をYouTubeで拝見したりする中で、いろいろ誤解していたことが多かったことに、この歳になって初めて気づいた次第です。
試合はやっぱり痛くて直視できないですが、プロレスラーさんのことは好きになりました。
何が言いたいのかというと、このように自分の好みを言ったところで、特に何かの罰を受けることは無いということですね。
もしもあなたの好みについて、責めたり、批判したり、バカにしてきたりする人がいたとするならば、むしろ「相手の方こそおかしい」と思ってくださって結構だと思います。
そういう人には、いくら「好みの何かの良さ」を力説しても、ほとんど伝わらないでしょうから。
「そうかもしれないですね~」と、スルーされるのが賢明かと思われます。
犯罪にかかわる「好き」であれば話は別ですが、好きなことを表現することに罪悪感を持つ必要は無いということですね。
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