pa – u – wa

Fortune Tarot

氣は在ります、でも霊は居ません。と、何度かブログで書いてきました。でもま、僕には霊感とか無いですからね。氣が在るのか否か、解りません。霊が居ないのか否か、解りません。でも氣で病が治った人って、多いんですよ。てか、氣って既に科学的に解明されてますよね。氣=オカルトなんて考えてるのは、先進国じゃ日本人位なんじゃないですかね。勿論、氣も全てが解明されてる訳では無いですからね。でも少なくとも、氣は効くなんて西洋の先進国なんかじゃ当たり前に成りつつあります。医療の分野で、如何に日本が遅れてるかって事です。

ただ霊は、どうなんでしょうね。まぁ霊に伴って、死んだ後の世もですかね。居るのか否か、在るのか否か。今の科学では、霊は居ないし死んだ後の世も無いという事に成りますかね。だって優れた祓師さんさえも「霊は居る、だって俺には霊が視えるもん」位の事しか言わない訳です。優れた祓術は、そりゃ優れてますよ。現に祓術で、心や体が治った方なんて星の数ほど居ます。でもそれって気功と同じじゃん、って話です。祓術で心や体が治ったからと言って、霊が居るという事の証には成らない訳です。まぁ、気功の別バーションという感じです。

その昔、医療が進んでなかった頃。戦で深い傷を負うと、まぁ助かりません。戦の中で傷を負い、体が動かなく成る。そして意識も消えつつある、そんな中。彼は「南無阿弥陀仏」と唱えると、極楽浄土へ逝けると信じてました。だから彼は「南無阿弥陀仏」と唱えながら、息を引き取る訳です。すると彼は、安らぎの中で死ねるんです。いや「南無阿弥陀仏」と唱えたら極楽浄土に行けるかなんて、知りませんよ。そもそも、極楽浄土なんてマジで在るんですかね・・・でも、それでも良いんです。彼の苦しみが減り、彼が安らかに眠りに就けたならば。

因みに、新興宗教に嵌まっちゃってる人は安らかには逝けないでしょうね。それはその新興宗教から掛けられた洗脳が、死ぬ瞬間に解けるからです。幾ら教団の教義を守っても、幾ら教団の修行に勤しんでもです。また、幾ら教団に御布施してても・・・死ぬ時に天使さんが迎えに来る事も無ければ、天国で待つ神さんの姿が見える事も無いんです。でも最期の最後に洗脳が解けるなら、それは最期の最後に救われたという事なのかもしれません。天国に行けると信じ教団の為に一生懸命に働いたのに、死んだ後は地獄に堕ちてました。とか、笑えません。

氣の知識を学び氣の訓練に勤しむと、氣の流れが視える様に成るそうです。そんな人の中には、霊も視える様に成ったという人も居るそうです。因みに氣って、感じれないだけで誰でも発してます。特に手から発せられてる氣は、解り易いでしょう。訓練する事で、それを感じれる様にするという事です。やはり感じれる方が、扱い易いですからね。で、話を戻すと・・・霊が視える様に成ったからと言って、霊が居るという事には成らないという事です。もちろん霊が氣なら、霊もまた氣の様に現実の世界や私達に対して強い影響は与えれるでしょうが。

この辺の事は、巧く伝え難いんですよね。だから霊は居ないけど霊の力は在るというのが、最も的を得てるのかもしれませんね。霊の力というのは、氣の事だと考えて頂いても構いません。つまり意思や目的を持った、目に見えぬ生き物は居ないという事でしょうか。知性の高い神さんや仏さんも、知性の低い獣の霊も居ない訳です。だからと言って、神さんや仏さんを敬ったり感謝する想いは在って良いと僕は考えてますがね。また獣の霊か何だかは知りませんが、人に仇を為す目に見えぬ何か不思議な現象や得体の知れないエネルギーは在りますしね。

そう考えるとですね、氣は学んだ方が良いですよね。人に仇を為す目に見えぬ何か不思議な現象や得体の知れないエネルギーが在ろうが無かろうが、氣を使えれば我がの身は我がで守れます。更に神さんや仏さんを近くに感じれますから、神さんや仏さんを敬ったり感謝する想いも高まります。そして何より、氣は脳や体を元気にするんですね。それなら目に見えますし、解り易いですよね。世には、氣の事をプラシーボ効果で全て説明する人が居ます。勿論、プラシーボ効果も在ります。でもプラシーボ効果にも、使い方の巧い人と巧くない人が居ます。

病が治るなら、プラシーボ効果でも何でも良い訳です。また重い病をプラシーボ効果で治そうと考えたら、プラシーボ効果を効果的に使う為に厳しい修行を経ねば成りません。それはそれで、アリなのではないでしょうか。幾ら値の張る薬でも、多くの肩書を持った医者さんでも・・・患者さんの病を治せなければ、何の意味も価値も無い訳です。じゃ氣だろうとプラシーボ効果だろうと、患者さんの病を治せるなら良いじゃないですか。ただまぁ今は21世紀なんで、やっぱ氣とか不思議なパワーも科学的に解明させといた方が良いですよねって話です。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)