Fortune Tarot

『楽しい』でもなく『樂しい』でもなく、今回は『愉しい』話を書きます。私達が最終的に得たいもの、つまり私達にとっての幸せとは『愉』なんですね。樂しむと、壮が生まれ心が満たされます。楽だと、健が生まれ体が満たされます。喜ぶと、和が生まれ縁が満たされます。嘉ぶと、匐が生まれ財が満たされます。因みに、『たのしむ』は『樂しむ』と書き『らく』は『楽』と書きます。そして、『喜ぶ』は我がだけが『よろこぶ』という事で『嘉ぶ』は人も『よろこぶ』という事です。樂・楽・喜・嘉が、壮・健・和・匐という幸せを生むんですね。

壮とは、心が安らかという事です。健は、体が健やかという事です。和は、縁が和かという事です。匐は、財が豊かという事です。安からで健やかで和かで豊かなら、そりゃ幸せってもんでしょう。難しい話は抜きにして、シンプルにその通りですよね。そして更に、この壮・健・和・匐が『愉』を生むんです。つまり、愉こそが真の幸せです。安からで健やかで和かで豊かに幸せに生きれたら、そりゃ愉快ってもんでしょう。そうなんです、人生は愉しまなければ損です。むしろ私達は、人生を愉しむ為に生まれてきたんですからね。これ、ホントです。

でもこんな事を言ってると「いや、人生は魂の修行の場だ」とか仰られる方も居られます。まぁ別に、どっちでも良いんですがね。古の世から支配者達は「生きる目的は、魂の修行をする為だ」と民に伝えてきました。でもそれって、洗脳なんじゃないですか?民を奴隷にする為に、支配者達が考えた設定。それは、支配者達の支配者達に縁る支配者達の為の洗脳です。「人生は修行場なんだから、厳しくて当たり前。むしろ厳しい今世を歩めば歩むほど、魂がレベルアップして天国にも行けるし来世は今より良い人生が用意されるぞ」って感じですかね。

そうやって支配者達は、長きに渡って私達を奴隷として苦しめて来た訳です。そもそも苦しめば苦しむほど良いなら、御前等(支配者達)も苦しんでないのは変ですよね。それとも、支配者達はこの世だけでなくあの世でも特権階級なのでしょうか。そんな訳は無いですし、そもそも人生は修行場ではありません。インドは今でも貧富の差が激しく、貧しい人は貧しいです。でもそんな貧しい人の中には、この貧しさを耐えれば来世で良い事が待ってると信じてる人も居ます。だから彼等は、今世は死ぬまで貧しい環境の中で苦しみたいと考えてるんです。

はっきり言って、馬鹿馬鹿しい話です。でも未だ、それが罷り通ってるんです。そんな国が、この21世紀の今も残ってるんです。死後の事や来世の事に思いを巡らす位なら、今世を一生懸命に生きれば良いんです。神さんや仏さんの事を考えてる暇が在るなら、目の前に居る人に一生懸命に尽くせば良いんです。とまぁ、ここまで言っちゃうと流石に極論ですがね。でも、こんな極論が当て嵌まっちゃう人も居るんです。それも、現代の日本に。それは悲しい話であり、僕もスピリチュアリストとしてキチンと考えてかねば成らない事だと捉えてますね。

仮に、前世や前々世等と呼ばれる過去世が在ったとしてもですよ。普通は、知れない訳ですよ。じゃあ、過去世なんて在っても無くても同じです。てか仮に知れたとして、じゃあどうすれば良いのでしょうか。運命は決まってるのか、決まってないのか。むしろ運命なんて、在るのか無いのか。でも仮に運命は在って且つ運命は決まってたとして、それを知れなければ手の打ち様が無いです。そして万が一にも知れたとして、どれだけ手を打っても変えれないのが運命の重さでしょう。はっきり言って見えぬ世なんて、この程度のもんって事なんですよね。

でも科学の進歩に伴い、新しい見えぬ世が私達の様な一般人の目にも見える様に成りつつあります。素粒子の世界に、クォークの世界・・・目に見えない世界は、確かに在るんです。見えぬ世では、思い込みが全てです。でも科学的な法則に則った思い込みなら、より効果的に見えぬ力を使い熟せるんですね。あくまでも、科学法則が主なんです。解釈そのものは、従でしかないんです。それは見える世も見えぬ世もそうですし、情報空間さえもそうなんです。だから僕も科学者さんではないですが、サラッとでも量子論とか物理学を学んでる訳なんです。

確かに、難しい事は解りません。でも科学者さんに解り易く説いてもらえば「何となく解る気がするわぁ」位の知性は、現代人なら誰でも持ってる筈です。『セミナー=怪しい』なんて、20世紀の常識。21世紀は『セミナーの1つも受けないで幸せに成ろうなんて、甘い』という世です。勿論、本を読むのもアリです。でも本には書かれてない『コツ』みたいなものを伝えてくれるのが、セミナーなんですね。勿論、未だ怪しいセミナーも多いです。でもだからと言って、セミナーというだけで食わず嫌いしてしまうのは損なんじゃないでしょうかね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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