Fortune Tarot

釈迦さんは産まれて直ぐなのに、7歩も歩いて「天上天下唯我独尊」と呟いたとされてます。そしてそもそも、釈迦さんは母の右の脇から産まれたんです。ホンマかよ!?って感じですよね(笑)勿論、ホンマな訳は無いでしょうね。まぁ釈迦さん位に成ると、こんな様なぶっ飛んだエピソードが後から盛られる訳ですよね。そうやって、釈迦さんを神聖なものとして皆に崇めさせようとした訳です。ただ釈迦さんは、食べた料理に入ってたキノコにあたって亡くなります。要は、死因:食中毒です。産まれた時のエピソードと違って、何とも普通ですね。

ただ、これには諸説が在ります。釈迦さんの死因と成ったキノコ料理を振る舞ったのは、チュンダという鍛冶屋の子です。じゃあチュンダさんが悪いのかと言われれば、何とも言えません。実は、釈迦さんは暗殺(毒殺)されたという説が在ります。ただし、チュンダさんが毒を盛った訳では無いでしょう。恐らくは誰かが、チュンダさんの拵えた料理を利用したんでしょうね。まぁ、真相は闇の中です。でも当時の社会に於いて、釈迦さんが疎まれてたのは事実です。常に命を狙われてて、いつ殺されてても不思議は無い様な状況だったという訳ですね。

当時のインドには、カースト制が敷かれてました。釈迦さんは元は王子だったので、上から2つ目のクシャトリア(貴族)の位だった訳です。それがいきなり、最も上のバラモン(司祭)という位に成ると言い出した訳です。ただまぁ、言っても釈迦さんは王子様ですからね。「しょうがないなぁ」位で、許されてたでしょう。でも釈迦さんは後に、全ての位の人の出家を認めました。つまり望むなら誰でも今の位に関わり無く、最も上の位のバラモンにしちゃったんです。ここまでやられちゃうと、当時のバラモン連中も目を瞑ってられなかったんです。

バラモン教は当時のインドで流行してた、ヒンズー教の前身みたいな宗教です。そしてカースト制に基づいた、厳しい差別を敷いてた訳です。バラモン教と仏教の違いは、輪廻転生を認めてるか否かです。バラモン教は輪廻転生を認めてるだけでなく、今世の身分が来世にも引き継がれると説いてました。でも仏教は生まれ変わり所か死後の世界も認めてなく、そもそも今世の身分制度なんて誤りだと説いてた訳です。つまり釈迦さんは、あの世と言うより差別を批判してたんです。でも当時のインドでは、仏教なんてイチ新興宗教に過ぎなかったんです。

当時はイチ新興宗教に過ぎなかったという点では、イエスさんとキリスト教もそうでしょうね。キリスト教はイエスさんが亡くなった後にローマ帝国のコンスタンティヌス帝が認めたので、全世界に広がった訳です。でも当時はやはり、ユダヤ教の世でした。そんな中で、ユダヤ教ではない人の中から神さんの子が現れた訳ですからね。出る杭は打たれるで、叩かれちゃった訳です。確かに食中毒で亡くなった釈迦さんもアレですが、イエスさんは弟子にも捨てられ磔にまでされちゃった訳です。宗教とか以前に、もう単純にイエスさんって哀れですよね。

釈迦さんもイエスさんも、光の人です。そして光の法を、広く人に伝えました。でも約2600年前から、闇の世が始まったんです。闇の世で光の人は、徹底的に虐められます。でも釈迦さんは闇の世が始まったばかりの2600年位前に光の理を説いてたので、食中毒位で済んだんですね。イエスさんは今から、約2000年前の人です。闇の夜が始まって既に600年位も過ぎてから光の法を説いてたので、とても酷い目に遭って死んでしまう事に成ってしまった訳です。でなければ、イエスさん程の良い人があんな酷い死に方をする訳が在りません。

嗚呼、因みにイエスさんは死んだ後に復活したとの事ですよ。まぁ当たり前ですが、それも後から盛られた話でしょう。釈迦さんにしてもイエスさんにしても、それこそ歴史上の偉人さんの殆どは死んだ後に話が盛られます。話を盛るのは、残った弟子達です。まぁ、彼等は金を儲ける事に走ったという事ですよ。でも仏教なら親鸞さんや空海さんの様に、ポロッポロッと開祖さんの本質を理解してる者が後の世に現れます。でも極論は、宗教の本質なんて開祖さんにしか解らない訳ですよ。それは、正に『神(さん)のみぞ知る』という世界なんですね。

釈迦さんは死ぬ前に、弟子がこう言いました。「貴方が亡くなられたら、私達は誰に従って生きてけば良いのですか?」それに対して釈迦さんは「そんな事は我がで考えなさい。その為に御前達には、仏さんの法を伝えただろう」と言いました。これが『自灯明・法灯明』という、仏さんの教えです。「自己を灯明とし、また仏法を灯明として世を生きよ。」何とも釈迦さんらしい、勇気を与えてくれる様な強い言です。天才・釈迦さんの言もメッセンジャー・イエスさんの言も、今の世を生きる私達だからこそ学ばねば成らない事なのかもしれませんね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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