占師もまた『先生』とか、呼ばれちゃう事が多いです。僕なんかは、今でも『先生』と呼ばれるのは慣れないんですけどね。でもまぁ、客さんからすれば占師は先生でしょうしね。またイベントとかで占師を雇う側としても、占師を「先生」と呼んだ方が都合が良いでしょうしね。先生とは、読んで字の如く『先に生まれた』という事です。そうなんです、先に生まれた方が偉いんです。少なくとも、儒教では。年配者・年長者は、無条件で敬われる価値が在るんです。もっとも先に生まれた長男が、最も偉いんです。その下に、次男とか三男が着きます。
という事を考えてる儒教は、正に差別思想です。因みに先に生まれても、女は男より下です。あくまでも、儒教では。男よりも上に来るのが『君子』と呼ばれる、立場の方です。この君子とは色んな捉え方が在るのですが、まぁ『王』の事を指します。君子=王、とシンプルに考えて頂いて構いません。若しくは、儒教の開祖の孔子さんの事ですかね。つまり王と孔子さんが最も偉いんだから、王と孔子さんには逆らうなという事です。その生涯を出世する事だけに費やした、何とも孔子さんらしい宗教です。それこそが、儒教の正体という事なんですね。
僕も基本的には、歳が上の人は敬います。でも、歳が上の人を敬う様に歳が同じ人や歳が下の人も敬った方が良いのではないでしょうか。その方が絶対に、今よりも良い世に成ると僕は思うんですけどね。因みに『教師』という語なら、何の問題も無いでしょうね。儒教の考えは、木と同じなんです。葉が枯れても、枝が残ってれば良い。枝が枯れても、幹が残ってれば良い。幹が枯れても、根が残ってれば良い。という事で儒教では、シンプルに親の命の方が子の命より重いんですね。確かに人も木も命は命ですが、僕としては頷けない考えなんですね。
根さえ残ってれば良いと他の所をバッサバッサと切り捨ててると、実を残せません。実を残せないという事は、種を残せないという事です。根が未来永劫、枯れない物なら良いのでしょうがね。根も、不老不死ではないですからね。枯れる前に種を残さねば、意味も価値も在りません。儒教的に考えたとしても、死んだ先祖を祀ってくれる生きてる子孫を残さねば意味も価値も無い訳です。まぁ、そんなもんなんですよね。人に、序列は在りません。と同じ様に、魂にもまた序列は在りません。魂のレベル、とか言ってるスピリチュアリストには御用心を。
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