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Fortune Tarot

客観的に人の事を観ると、その人の心の中が解ります。つまり、その人が何を考えてるか解ります。これは、占いでも使えるテクニックです。しかしながら、客観的って何なんでしょう。勿論、辞書を引けば客観的の意味は書いてあります。でも人は、真に客観的になんか成れるのでしょうか。答えは、NOです。成れる訳が、在りません。それは人の脳が、客観的に成れない様に作られてるからです。客観が無いという事は、完全完璧に正しい事なんて無いという事です。この事に関しては、物理学とか数学とかでも既に証明されてる事なんですけどね。

「客観的に人の事が観れないなら、その人が何を考えてるかは解らないじゃないか」という事なのですがね・・・擬似客観的、でも大丈夫です。例えば、その人の髪の分け目が右側に在るのか左側に在るのか?勿論、スキンヘッドの方でしたら「分け目が無い」で構いません。帽子を被ってる人も然り「分け目が見えない」で、全く構いません。他にも鞄をどちら側の肩に掛けてるかとか、重心が体のどちら側に在るかとか。そういった事を2〜3個、パパッとチャックするだけでも良いんです。それだけで、何となくですが解ってくるもんなんですよね。

潜在意識やら変性意識やらを使えば、超能力と思える様な事がやれたりもします。しかしながら、物理法則は超えれませんがね。例えば凄い速さで動くとか、そういうのは不可能です。でも潜在意識や変性意識を巧く使えば、私達のやれる事はグッと増えます。そして私達は今よりも、もっと生き易く成ります。例えば人を客観的に観るというテクニックも、そうです。人を可能な限り客観的に観る事で、私達は私達の中に在る差別心を切り離せます。差別心と書くと、大袈裟かもしれませんね。それでも人は多かれ少なかれ、色眼鏡を掛けて生きてます。

色眼鏡を掛けてないのは、釈迦さん位なものでしょうか。少なくとも、定義上はそう成るでしょうね。特に占師は、我がの掛けてる色眼鏡には気を付けねばなりません。偏見でクライアントさんを観れば、時に取り返しの付かない事に成り兼ねません。クライアントさんを占ってる、その時だけでも良いのです。その時だけでも占師は、普段の生活とは別人格を使わねばなりません。まぁこれは、占師に限った話でも無いですがね。命に触れるのは、何も医者さんだけではありません。私達の様な占師もまた、心を通してクライアントさんの命に触れます。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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