生と死

Fortune Tarot

海外では、死んだ人の骨を装飾品の様に飾る的な文化の国も在ります。まぁ日本人がパッと見たら、驚いてしまいますよね。でも日本にだって、死んだ人の骨を壺に入れて的な文化は在りますよね。死んだ人の骨を取っとくのは、まぁ先祖を敬う的な考えから来てるのでしょうね。勿論、日本にも死んだ人を敬う的な文化は在ります。でも日本では、死は穢れなんですね。そしてまた、感染するものでもあるんです。だからこそ昔は、遺体を扱う人は差別されました。まぁ私達も誰かの葬式に行って家に帰ったら、体を清める為に体に塩を振りますもんね。

日本では、亡くなった方は火葬されます。でも海外では、土葬という所も多いです。人は燃やされると、体の中に溜まってた念が噴き出します。それは空気中に溶けて、生きてる人が吸う事と成る訳です。日本は国土の狭さの割に、多様な地域性を持ってると言われます。その訳は、こんな所に在るのかもですね。ただ土葬すると、土のエネルギーが念を浄化してくれます。だからこそ、天皇家の皆さんが亡くなられると今でも土葬です。まぁ決して、火葬と土葬のどちらが良いかという話はないですがね。まぁそんなもんなんだ位に、思ってて下さいね。

人は死んでも、消えて居なくなる訳では在りません。但し、それは魂的な事ではなくてですね。体を持ってる状態から体を持ってない状態へ換わるだけで、殆ど変わらないと言えるでしょう。但し・・・それは魂的な事ではなくてですね(笑)霊界といえば、スウェンデンボルグさんですかね。でも彼の考えは、今では古い考えといえます。最先端のあの世感は、亡くなった人も今ここに居るという事です。あの世は、この世と重なってるんです。じゃあ、やっぱり魂って在るのかと言われれば・・・それは違います、魂とか霊とか決して在りません(笑)

釈迦さんは、あの世については「無記」としました。つまり、何も語らずってやつです。まぁ、あの世の事を考えてる暇が在ったらこの世を樂しめって事ですかね。魂とかあの世とか、エンターテイメントとしては、なかなかオモシロいんですがね。若しくは、喩え話。じゃあそれ以上の価値が在るかと言われれば、まぁ文化的な価値でしょうか。死は、宗教の独壇場ではなくなりました。それこそ物理学や量子論が、私達の死生観を換えました。それでも尚、古い価値観で以ってして宗教同士が争う・・・それは何とも、悲しい話と言わざるを得ません。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)