疾き事、風の如し。

Fortune Tarot

親と子の関わりって、なかなか難しいのかもしれませんね。ただ縁起的に考えると、親という存在と子という存在が居るから親子という関係が在るのではないんです。親子という関係が在るから、親という存在と子という存在が居るんです。怒った時に子に「誰が産んでやったと思ってるんだ」とか吐いちゃう、親失格の方も居られるそうですが・・・そういった親には「誰が親にしてやったと思ってるんだ」と子の方は言い返したげて下さいね。親と子なのに、分かり合えない・・・のでは、決してないんです。親と子だから、分かり合えないんですね。

親の役は、子に親の価値観を押し付ける事ではありません。親の役は、子が自らの足で立って世を生きてける様に育てる事です。だから、その為に親の価値観を子に伝えるのは在りでしょう。親は子にとって、先輩です。その親の価値観を知る事は、少なからず子が自らの価値観を決める、参考程度には成るでしょうからね。更に、法律や常識も伝えとくだけは伝えといた方が良いでしょう。法律は、取り敢えずは守らなければ成りませんからね。でも、常識は違います。まぁ常識も、知っといて損は無いですね。その程度の意味と価値は、在るでしょう。

法律の外に飛び出すと、犯罪者に成ってしまいます。常識の外に飛び出すと、変人と呼ばれるでしょう。でも偉人や成功者と呼ばれる人達は、そんな変人の中からしか生まれません。でも変人は、常識の中に居る人達よりも常識を知ってます。知ってるから、飛び出せるんです。知らなければ、何が常識の中で何が常識の外か分からない訳ですからね。そして「まぁ少なくとも俺は常識の中に居るんだろうな」的な、曖昧な判断で適当に生活してる訳です。でも曖昧な判断で適当に生活する事が、ドンドンと難しく成りつつあります。それが、今の世です。

親は子に我がの価値観を押し付けてはいけないと聞くと、子の言い成りに親が成りなさいという風に捉えられる方も居られるようです。当たり前ですが、それは違います。親が子に親の価値観を押し付けてはいけないなら、子も親に子の価値観を押し付けてはいけないんです。そもそも親と子に限らず、人に我がの価値観を押し付けてはいけません。勿論、人を殺してはいけないとかは価値観を押し付ける押し付けない以前の問題ですがね。親と子は、平等ではありません。産まれた、時も場も違うんですからね。でも親も子も、人としては対等なんです。

宗教的な言い方をするなら、人は誰しも神さんから見れば対等なんです。まぁ儒教なんかは、ちょっと違いますがね。基本的には、歳に関わらず全ての人は神さんの子なんです。そして神さんは人と違って、差別はしないんです。だからと言って、歳が上の人は敬った方が良いですよ。歳が上の人や亡くなった人を敬わなくなったら、もう終わりです。はっきり言って、獣にも劣ってしまうでしょうね。でもそれは、歳が下の人より歳が上の人の方が偉いからではありません。そんな事を言ってるから、儒教思想は差別思想だと言われてしまうんですよね。

だから位が上の人に対してだろうが歳が上の人に対してだろうが、違うと感じた事は「違う」と言わなければ成りません。まぁそういう事を言わない人は常識の中でヌクヌクと暮らせて、そういう事を言っちゃう人は常識の外へ弾き出されちゃうんでしょうがね。それでも、違うと感じたら「違う」と声を上げるべきでしょうね。でも、何でもかんでも常識の外に出れば良い訳ではありません。そんな奴は、常識の中に居る人より害を及ぼします。じゃあこのブログで、僕は何を言いたいかのでしょう。それは、我がの頭で考えましょうという事なんです。

肩書を持ってる人に言われたから正しいとか、常識だから正しいとか・・・そういうのは、もう辞めましょうという話です。肩書を持ってる人の言う事が、全て正しくない訳ではありません。常識の全てが、正しくない訳ではありません。そして縁起的に考えれば、我がが正しいと考えてる事も正しいとは限らないんです。絶対的な物なんて、何も無いんです。だから私達は、自らの頭を使って物を考えなければ成らないんです。決して、大きな声に従うだけではいけないんです。でなければ、それは奴隷として搾取されてる事と何も変わらないんですね。

という訳で、親の役は子が我がの頭で物を考えて決めて生きてける様に育てる事なんですね。それは決して、親の価値観を子に押し付ける事ではありません。親の価値観もまた、親の親から押し付けられた物でしょう。つまり、それは常識って奴です。常識に従ってれば、確かに楽です。でも、今の世を見て下さい。常識に従ってるだけでは、生き残れない世に換わりつつあります。そもそも常識や法律なんて、時と場で換わります。そして今は、とんでもないスピートで情報が飛び交う21世紀。常識も法律もスピーディに、換わりつつあるのですから。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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