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Fortune Tarot

「どうせ私なんて・・・」的な事は、考えない方が良いです。そもそもエフィカシーが低いから「どうせ私なんて・・・」と、考えちゃうんです。そして「どうせ私なんて・・・」と考える事で、更にエフィカシーが下がります。その悪循環、正に負のスパイラル。どんな事に関して「どうせ私なんて・・・」と考えてるかは知りませんが、どのジャンルで考えてたとしても「どうせ私なんて・・・」と考えてると全体的にエフィカシーが下がります。それは私達にとって、損以外の何でもない訳です。

でも1つのジャンルで「どうせ私なんて・・・」と考えると全体的にエフィカシーが下がるなら、1つのジャンルでもエフィカシーを高めれば全体的にエフィカシーが高まります。すると「どうせ私なんて・・・」と考えてるジャンルのエフィカシーも高まるので、そのジャンルで「どうせ私なんて・・・」と考えなく成ります。恋に関して「どうせ私なんて・・・」と考えてる人に「エフィカシーが下がるから、そんな事を考えるな」と言っても無駄です。言われて考えなく成る様なら、既に考えなく成ってます。じゃあ何でも良いので恋よりエフィカシーの高い事で、今までより高いゴールを決めるんです。

じゃあ例えば、それが職だとしましょうか。新たに決めた職のゴールに向かって、一生懸命に樂しむんです。すると「どうせ私なんて・・・」と考えてる、恋の事を考えなく成ります。つまり「どうせ私なんて・・・」と考えてる恋を、スコトーマの中に入れてしまうんです。すると職に関してだけでなく、全体的にエフィカシーが上がります。

人は「考えるな」と言われても、考えちゃうんです。むしろ「考えるな」と言われれば言われるほど、逆に考えちゃうってもんです。考えない様にしよう考えない様にしようとする事は、その考えない様にしようとしてる事への興味を逆に強く握りしめる様なもんなんですね。考えるなと言われても考えちゃうなら、別のアプローチをすれば良い訳です。要は、別の事に興味を持てば良いんですね。その為に、新たにゴールを決めましょうという事です。ずっと前から重いギャンブル中毒の人が、たった1回の恋でギャンブル中毒から抜ける様なもんです。

話が逸れたので、話を戻しましょう。もし「どうせ私なんて・・・」と考えられてる方が居られましたら、その事とは別の事でゴールを決めて下さい。そりゃ、いきなり新しいゴールへ向かう事に一生懸命には成れないでしょう。でも「どうせ私なんて・・・」という考えに囚われて、貴い命を無駄にするのはモッタイナイ訳ですよ。

まぁ極論、私達は誰しもが「アイ アム グッド」なんです。それに科学的な根拠なんて、全く要らないんです。目を覚ました時も「アイ アム グッド」で、眠りに就く時も「アイ アム グッド」です。それで良いですし、それが良いんです。そもそも我がが我がに対してグーサインを出せないのに、誰が我がにグーサインを出してくれると言うのでしょう。ただし、それは何もナルシストに成れと言ってる訳ではありませんよ。いや、ナルシストでも良いんですけどね。それで人に迷惑を書けてないのなら、ナルシストでも上等じゃないですか。

世の全ての人が我がで我がに「アイ アム グッド」を言えたなら、世から鬱病は無くなるでしょう。誤解を恐れずに言うなら、鬱病の人は鬱病を辞めてしまえば良いんです。これに対しては、非難轟々かもしれませんね。でも鬱病の人は、我がの患ってる鬱病が死ぬまで治らないと考えてる事が殆どなんです。いや、治るか治らないかさえも考える心のゆとりも無くなってるかもしれませんね。だからこそ、敢えて言わせて頂きたいんです。鬱病を患ってる方に「鬱、辞めちゃえば」と。鬱病を患ってる方に「鬱病は辞めれるんだ」という事に、気が付いて欲しいんです。そして、それだけで鬱病が治っちゃう方も居られる訳ですよ。

日本は、幼い頃から儒教教育を受けます。儒教教育の全てが悪だとは言いませんが、儒教教育のせいで日本には「どうせ私なんて・・・」と考える人は多い訳ですよ。と同じ様に儒教教育のせいで「アイ アム グッド」と、我がで我がに言えない人が多いんですね。己を敬う事と人を敬う事は、矛盾しません。己を敬いつつ、人も敬えるんです。むしろ己も敬えない様な奴が、真に人を敬える訳が無いんです。多くの伝統宗教に於いて、自殺は重い罪とされます。命を奪う事は、罪なんです。そしてそれは、己の命か人の命かを問わないんです。

我がが幸せを感じてないのに、ボランティアとかをやってる人が居ます。それ、辞めた方が良いですよ。人から何と言われようと、心の底から己が幸せだと感じてる。そんな人が、人から何と言われようと困ってる人を助けるんです。己の不足を補うのは、もう辞めた方が良いですよ。そもそも私達は完全無欠、それを想い出す事から初めれられてはどうでしょう。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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