『霊能と脳』の話をする前に、占いと脳の話をします。そもそも私達は、何の為に占いを受けるのでしょうか。勿論、色んな訳が在るんだと思われます。また、そもそも占いを使われた事が無い方も居られますよね。占いの歴史は、とても古かったりします。それこそ、ハッキリとは解らない位に。ただ恐らく占いもまた、元は権力者達の行ってた神事の一部だったのでしょう。そういった行いは基本的には内緒内緒ですが、所詮は人がやる事なので情報は漏れます。そして一般人の耳にも入り、彼等もマネをしてそれ等を行う様に成った感じでしょうね。
本来の神事とは、神さんと言うか高次の存在とのコミュニケーションみたいなもんでした。神託、とでも言いましょうか。それは最早、占いという域を超えたものです。宗教的であり、己を高める為の行いでした。でもいつの世も、一般人はそういった事に余り興味を示しません。吉か凶かとか運を上げるだとか、そういった事の方を求めてた訳ですよ。そういった流れの中で、占いは生まれたのでしょう。今よりも科学の発達してない古の世に於いて、民も権力者も何とかして幸せに成ろうとあがいた訳です。まぁその辺は、今も昔も変わりませんよね。
占いは、学問です。それだけの、歴史が在りますから。でも決して、占いは科学では在りません。でも強いて言えば、心理学の一種なのかもしれませんね。私達は、不完全な存在です。当たり前ですよね、完璧完全な存在なんて居る訳が在りません。という事は、私達は部分情報な訳です。そして部分情報は、完全情報の夢を見るんです。世の何処かに、全知全能な神さん的な存在が居るんじゃなかろうかと期待する訳です。でも結論から言うと、そんな存在は居ません。仮に神さんや仏さんが居たとしても、決して全知全能な存在ではないでしょうしね。
理不尽な世で強く生きる為に、私達は占いを求めるのかもしれませんね。何とかして、先を知りたい。どうにかして、心を読みたい。そう考える事は、決して悪い事ではないでしょう。ただ私達は、もっと自己中に成っても良いのかもしれません。自己中に成って、我がの未来に期待する。人の目を気にせず、我がの好きな事をがんばる。そう生きても、決して罰は当たりません。過去は変えれません、過ぎ去ってしまったものですから。でも未来は換えれます、未だ来てないものですから。過去とは記憶、未来とは期待。期待するなら、我がの未来です。
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