催眠をやってて想うのは、めっちゃ被験者さんを観察せにゃならぬという事です。例えば「手が開かなく成ります」とかの暗示を打ち込むタイミングとかを、被験者さんをジッと見て捉えねばならないからです。それは、ある意味では武道・武術の様なもんです。というか、催眠を武道や武術に使ってる流派も在る位ですからね。むしろ本来は、そういった使い方から始まったのかもしれません。日本なら、忍術や陰陽道。それ等にも催眠は、深く深く関わってます。西洋の魔術だったり密教の奥義とかも、蓋を開けてみれば催眠という事だったりします。
ぶっちゃけ、魔術とは人に幻を見せる技です。幻なら、何でもアリです。まぁ、夢みたいなもんですからね。但し、寝てる状態でなく起きてる状態で見せる夢。白昼夢、とでも言い換えれば良いでしょうか。とにかく、人に幻を見せる技こそが魔術な訳です。例えば、チベット密教。チベットの山の上なんてな空気が薄いですから、幻を見せるには打って付けの環境な訳です。じゃあ何で、そんな技が生み出されたのでしょうか?まぁ色んな訳が在る筈なのですが、チベット密教。つまり仏教では、幻を見せる技というのはどんな役を担ってたのでしょう。
仏教の中の大乗仏教には、空という考えが在ります。この世は、空なんです。有るとも言えるし、無いとも言える。有るとも言えないし、無いとも言えない。解り難いですが、これが空です(笑)つまり、この世も幻なんです。それを教える為に、幻を見せる技が作られたんです。この世が幻だという事を、教える為に・・・でも、今の世はどうでしょうか?そんな奇跡(でもなんでもないのですが)の技のみがピックアップされ、この世は幻だという事は伝えられてません。だからこそ、新興宗教の皮を被ったカルトが今の世に広まるという訳なんです。
占いもまた、カルトに傾き易いです。数年に1回は、占い師に騙された的なニュースで世が騒ぎます。占いもまた、カウンセリングと同じです。悩みを占師に話す事で、頭の中がスッキリと整うんです。頭の中がスッキリと整うだけで、人の心もまたスッキリとするんです。例え、何も問題が解決してなかったとしても・・・人の脳って、そういう風に作られてるんです。占師は、神ではありません。占師が何かしらビジョンがハッキリとクッキリと視えたからって、その鮮明度に比例して当たる確率が上がる訳でもありません。謙虚に、占わねばですね。
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