神さんは決して、私達と契りません。つまり神さんとの契約なんて、無いんです。と言うか、在っちゃ駄目ですよね。もしそんなものが在るとするならば、必ずや神さんに媚びを売る奴が現れるからです。そしてそれを、商いにする奴も現れるからです。まぁ、御利益信仰ってやつですね。古の世に在った、免罪符なんかもそうですね。地獄の沙汰も金次第、とも言えますかね。まぁ現実は、あの世に金は持ってけない訳ですがね。そもそも神さんは、決して私達の交渉には応じてくれません。だから、そもそも契約なんて結べる訳が無いという事ですね。
私達は神さんのやる事に、物を申してはいけないんです。いや、別に文句を垂れても良いんですがね。どれだけ垂れても、神さんは耳を傾けてはくれないよって話です。神さんを、疑ってはならないんです。神さんのやる事に対して「何で?」とか、訳を求めてはいけないんです。そんな事に、意味も価値も無いんです。でもそこに意味と価値を求めるのが、宗教でありオカルトでありスピリチュアルなんですよね。まぁ全てが全てとは、言いませんがね。訳の解らん事に因果関係を見い出す、それはある意味ではとてもとても危ない考えという事ですね。
例えば、トイレを掃除したから金運が上がるとか。「何で?」って話です。いや勿論、トイレは掃除して清く美しくしとくに越した事は無いですよ。でもそれが金運を上げる事に繋がるかと言われれば「う〜ん・・・」という感じです。そもそも「金運って何?」という所から考えねばなりませんしね。例えば貴方は、川に居ます。すると、赤色の玉が流れてきた。それを拾ったら数分後、青色の玉も流れてきた。ここで赤色の玉を取ったから青色の玉が流れてきた、とスピリチュアリストの皆さんの多くは捉えます。でもこれ、真にそうなのでしょうか?
違いますよね、誰から川上から赤色の玉と青色の玉を時間差を付けて流しただけの話です。全知全能の神さんは、決して居られません。居られるなら、ビッグバンで宇宙が生まれてから全ての事が決まってるという事です。それが違うという事は20世紀に、不完全性定理と不確定性原理で解った事です。まぁ例えば日本の神さんの様に、親が居て子が居る様な神さんだったら何の問題も無いのですよ。この国には、神さんも仏さんも多く居られます。つまり、縁起です。縁起という情報空間の中に居られるなら、神さんも仏さんも何でも在りって事です。
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