親鸞さんと、浄土真宗。

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浄土真宗と言うと、未だ日本ではメジャーな宗教なのではないでしょうか。試しに親にでも聞いてみて下さい「ウチって、宗教は何?」そこそこの確率で「ああ、浄土真宗だよ」と答えが返ってくるでしょう。浄土真宗の開祖と言えば、親鸞さんですよね。この親鸞さんって、なかなか破天荒な人です。いや、僧なので破戒僧ですかね。だって仏教では禁じられてる、妻を娶った訳ですからね。もう、仏教界初の大事件です!親鸞さんは一休さんに負けず劣らず、読んで字の如くの破戒僧ですよ(笑)でも親鸞さんも浄土真宗も、とても良いものなんです。

親鸞さんと浄土真宗について書く前に、そもそも浄土って何でしょうか。釈迦さんの悟りは縁起だとか空だとか言われてますが、今回は涅槃(ニルヴァーナ)という事にします。涅槃とは、早い話が天国です。でも涅槃に行くには、修行して悟らねば成らない訳ですよ。でもまぁ釈迦さんは苦行を否定しましたから、苦行はやらなくても涅槃には行ける訳です。でも釈迦さんが亡くなって長い時が過ぎ、誰しもが涅槃について分からなくなってしまったんです。まぁそもそも、涅槃という考え自体が抽象度が高くて一般人には解り難いものだったんですね。

そこで、浄土の登場です。浄土は、現世と涅槃の中間地点です。でも浄土に行ければ、無条件で涅槃に行ける訳です。普通に涅槃に行くのは、色々と難しく色々と解り難いんです。でも浄土は、行き易いんです。そしてさっきも書きましたが、浄土へ行ければ無条件で涅槃に行ける訳です。浄土には、阿弥陀という仏さんが居られます。阿弥陀さんは涅槃に行けるのに、私達を救う為に敢えて浄土に留まって下さってるんです。では、どうすれば浄土へ行けるのでしょうか。取り敢えず、ただひたすらに念仏を唱えれば良い訳です。ね、簡単ですよね(笑)

この宗教を、浄土教と言います。仏教の宗派の中では新しい方で、インドで生まれ中国で発展しました。日本では、先ず貴族階級の間で広まりました。阿弥陀さんの絵や像を見て、阿弥陀さんを念じた訳です。でも仏画や仏像は高かったので、民は買えなかったんですね。そこで法然さんが、浄土教を民に伝える為に専修念仏を広めました。専修念仏とは「南無阿弥陀仏」と、ただ唱え続ける事です。南無はサンスクリット語で、帰依するという事です。つまり「阿弥陀さんに、帰依します」という事です。そして専修念仏には、仏画も仏像も要りません。

この浄土教を進化させたのが、親鸞さんの浄土真宗です。親鸞さんは、専修念仏を他力本願にレベルアップさせたんです。浄土教の専修念仏では、念仏を唱える数は多ければ多いほど良いんです。でも浄土真宗の他力本願では、念仏を唱える数は何回でも良いんです。むしろ多く唱えるという事は自力で浄土に行こうとしてるからで、阿弥陀さんを信じてない証と考えたんですね。つまり他力本願の他力とは、阿弥陀さんの力の事を指す訳ですね。むしろ阿弥陀さんを信じ切って身を委ねるなら、念仏さえも唱えなくて良いという所まで発展した訳ですよ。

他力本願と言うと、余り良い印象を持たれてない方が多いかもしれません。でもそれは、誤りです。さっきも書きましたが、他力本願とは阿弥陀さんへの絶対的な帰依です。決して、人に任せて我がは何もしないという意味ではありません。その辺の事を解ってなかったとある企業がCMで「他力本願は辞めよう」的な事を言って、浄土真宗からクレームを受けるなんて事も昔に在りましたっけね。そして絶対的な帰依という点で、浄土真宗はキリスト教と似てます。と言うか、ほぼほぼ同じです。要は、神さん仏さんを受け入れるか否かが肝なんですね。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という言が在ります。善い人が浄土へ行けるのだから悪い人が浄土へ行けるのは当たり前だ、という意味です。善い人は真面目なので、やはり自力で浄土へ行こうとしちゃう訳です。でも悪い人は、阿弥陀さんに頼らないと浄土なんか行けないんです。つまり、絶対他力です。改めて、神さんや仏さんって凄いですね。困った時の、神(さん)頼み。どんな頑なに神さんや仏さんを信じてない人でも、最後の最後に頼るのは神さんや仏さんなんですから。そして神さんや仏さんも、その人を助けちゃう訳ですし。

浄土教にしても浄土真宗にしてもキリスト教にしても、またユダヤ教にしてもイスラム教にしても。悟りの内容は、同じなんですね。ただ細かい所や、アプローチのやり方が違うだけなんです。これは、抽象度の高い考え方です。そしてこの抽象度の高い考え方を使えば、世の宗教戦争は無くなるでしょう。それぞれの宗教はそれぞれの教義に帰れば良い、ただそれだけですよ。たったそれだけの事で、神さんや仏さんの名の下に行われる殺し合いは終わるでしょう。こんな事さえも解らない様では、私達地球人が悟るのは未だ遥か先の事なのでしょうね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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