m o d e r a t e l y

Fortune Tarot

まぁ僕も、お祓いとかやってますからね。神さんや仏さんを、尊んでます。基本的に、神さんや仏さんに『さん』を付けない事も無いですしね。宮(神社)さんや寺さんにも、チャンと『さん』を付けてます。まぁ、そりゃそうですわね。神さんも仏さんも私達の先輩です。アメリカ人さんとかなら話は別ですが、日本人なら先輩に『さん』を付けた方が良いでしょうね。そんな当たり前の事もやらずに神さんや仏さんに願いを叶えでもらおうなんて、どうかしてますよね。繰り返しますが、神さんも仏さんも私達の先輩です。キチンと、尊びましょうね。

世には『神さんとの契り』とか、言う人が居ます。これもまた、神さんを侮った事を言ってます。契り=契約、ですよね。基本的に契約は、対等な者同士の間に於いて結ばれます。つまり『神さんとの契り』とか言ってる輩は『俺は神さんと対等だ』と、言ってる訳ですよ。いやぁ・・・ヤバい位に神さんを侮ってますよね(笑)僕はビジネスで、お祓いをやってるだけです。つまり僕は、真に神さんが居るとはこれっぽっちも考えてないんです。そんな僕でさえ『俺は神さんと契れる=俺は神さんと対等だ』とか、もう畏れ多くて考えた事も無いですわ。

あの世には、あの世の理が在ります。この世には、この世の理が在ります。あの世を理を担ってるのが、宗教でしょう。この世の理を担ってるのが、法律ですかね。政教分離という語も示す様に、現代社会ではあの世の理とこの世の理をゴッチャにしてはいけないというのがトレンドです。そもそも何の為にあの世の理が要るかと言えば、私達の煩悩をコントロールする為です。要は「慾も程々に、ね」って事です。慾を消す事を突き詰めると、睡眠欲とか食欲とか性欲とかの欲も消えます。必要最低限の欲まで消してしまうと、当たり前ですが死にます。

「流石に、死んじゃだめでしょうよ」って事なんですよね。何でも、程々が良いという事です。それを、仏教では『中観』と言います。空を悟って、世は幻と悟るのを『空観』と言います。そして幻だけど、仮の役を与えて樂しく生きましょうというのを『仮観』と言います。この『空観』と『仮観』のバランスを取り、巧く生きるのが『中観』という事ですね。繰り返しますが、程々でなければならないんです。極端って、やっぱり宜しくないんですよね。極端と極端の真ん中を取るのではなく、色んな事のバランスを整えるのがポイントなんですよね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)