釈尊

Fortune Tarot

人は誰しも、欲を持ってます。だからこそ望み、時に悩み。そして、占いを受けに来られる訳です。欲と言っても、2種の欲が在ります。1つは、欲。これは三大欲求を含む、生きてくのに無くてはならないものです。もう1つは、慾。これは下に心が付いた慾なので、要は下心。「もっともっと」か「もったいない」の、どちらかです。慾の事を、大乗仏教では煩悩と呼びます。上座部仏教では、欲も慾も苦と呼びます。結論から言うと、欲も慾も『ほどほど』が良いんですね。それが『中観』とか『中庸』とか、そういった考え方・生き方なんですね。

例えば、食。人の味覚は、割と原初的な感覚です。そもそもは、口に入れた物が毒か否かを調べる為のものです。つまり、旨いか否かを調べる為のものではないんです。少なくとも、今の日本では殆ど使わなくても良い感覚です。確かに食の安全が叫ばれてますし、僕も限り安全な物を食べたいです。しかしながら、一口でも食べたら即死する様な物は売られてないでしょう。結論から言うと、食べたい物を食べたい時に少し食べれば良いんです。若しくは、出された物を感謝しつつ少し食べれば良いんです。やはり少しというのが、食でも肝なんですね。

大乗仏教では慾のみ禁じてますが、上座部仏教では欲も慾も禁じてます。確かに、多くを望まねば幸せには成れるでしょう。勿論、賢さは多く要りますがね。とはいえ、やはり金は在った方が良い訳です。世の殆どの個人的な問題は、金が在れば解決します。貯金額で結婚相手を選ぶなんて莫迦げてますが、最低限文化的な暮らしを営めるだけの経済力を求めるのは悪い事ではありません。むしろ、それは『ほどほど』の内でしょう。だからと言って、金は在れば在るほど良いという訳ではないですがね。金よりも尊いものなんて、星の数ほど在りますし。

日本の坊さんは、世界的には仏教徒とは認められてません。勿論、日本の全ての坊さんが仏教徒失格だと言ってる訳では無いですよ。でも坊さんだったら最低でも飲酒・肉食・結婚、位は禁じた方が良いのではないでしょうかね。それが嫌なら坊さん=仏教徒ではなく、仏教者で良いのではないでしょうかね。釈迦さんは悟るまでは上座部仏教でしたが、悟った後は大乗仏教です。それは、悟りについて多くの人に説き始めたからです。僕は上座部仏教を、小乗仏教と呼ぶ気は在りません。が、より多くの人の役に立つ為に大乗仏教的に生きたいですよね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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