通信

Fortune Tarot

コミュニケーションとは、西洋では『情報の伝達』の事を指します。でも、東洋では『人を喜ばす為の情報の伝達』の事を指します。アメリカが強く成った訳の1つとして、ディベートが在ります。正しさで以ってして、敵を言い負かす。要は、それがディベートです。これぞ正に、西洋的コミュニケーションでしょう。でも、よく考えてもみて下さい。言い負かした方が、必ずしも正しいとは限りません。時と共に、正しさは換わります。そして言い負かして勝った方も、正しさを改める日が来るかもしれません。諸行無常で在り、全ては空ですからね。

そう考えると西洋的なコミュニケーションは、そもそも成り立たないんです。でも東洋の『人を喜ばす為の情報の伝達』は、そもそも諸行無常や空を認めた縁起的なコミュニケーションです。今、目の前に居る人を喜ばせば良いのです。そして、これは自己満足でも構わないんです。全ては空なのですから、人から何をされたら喜ぶかを解ってる人なんて居ないんです。じゃあ例え自己満足でも、人を喜ばせば良い訳です。それで人が喜ばなかったら、人から「止めてよ」と言われるだけですし。そして「止めてよ」と言われたら、改めれば良いだけです。

西洋的なコミュニケーションが初めから成り立ってないのは、経済学と同じです。経済学もまた、そもそも学問とは言えません。経済学は、完全情報と合理的判断を前提とした学問です。でも完全情報も合理的判断も、不可能なんです。先ず、市場の全ての情報が解ってる事なんて在り得ないんです。だから完全情報は、無理なんです。次に、人は「友が売ってるから」とか「地元で作ってるから」とか、非合理的判断で何かを買う事も在ります。だから合理的判断も、無理なんです。そして今や経済学は、行動経済学の様に心理学っぽく成ってしますし。

つまり人は、論理だけで考えてる訳では無いんです。それは情動という、論理では割り切れない考えも併せ持ってるんです。西洋的なコミュニケーションにしても経済学にしても、論理でしか考えてません。そんな考えで、血の通った日常生活の答えの全てを弾き出せる訳では無いんです。じゃあ、東洋的なコミュニケーションはどうでしょう。こちらは要は、人を喜ばせば良い訳です。つまり時と場に応じて、論理的なコミュニケーションと情動的なコミュニケーションを巧く使い分ければ良いんです。ちょっとしたコツを掴めば、誰でもやれる事です。

論理的なコミュニケーションを使わなければ成らないのは、主にビジネスですね。情動的なコミュニケーションを使わなければ成らないのは、主にプライベートですね。例えば恋なんかに論理的なコミュニケーションを持ち込んでも、余り意味は在りません。そもそも恋は、情動的な事ですからね。論理という物差が、通じない事が殆どです。そう考えると、ビジネスで論理的なコミュニケーションを使うのは楽だったりします。例えば会議や取引では、こちらも向こうも感情的な話をしたい訳ではないですからね。要は、数字の話をしたいだけですから。

ただ論理的なコミュニケーションにしても情動的なコミュニケーションにしても、気を付けなければ成らない点が1つだけ在ります。繰り返し書いてますが、それは人を喜ばすという目的です。ここが振れると、そもそもコミュニケーションではなく成ります。好きな人を喜ばしたい、だから好きな人と情動的にコミュニケーションするんです。会議や取引を巧く進めて会社や社会を喜ばしたい、だから会議や取引で論理的にコミュニケーションするんです。つまり人を喜ばすという目的、ゴールこそが最も要なんです。それだけは、忘れないで下さいね。

人を喜ばすという事さえ肝に銘じてれば、誰とでも良い関わりを作れます。そして関係が存在を作ってる訳ですから、人との関係を良くすれば我がの存在も良く成ります。むしろ人との関係を良くする事でしか、我がの存在を高めれないんですね。これぞ、縁起的なコミュニケーションですね。この縁起的なコミュニケーションを身に付ければ、例えば海外の人ともスムーズに関われます。肌の色や話す語の違いに惑わされず、その人の生まれ育った地の文化や歴史に想いを馳せれます。つまり偏見を持たず、色眼鏡を掛けず外人さんとも関われるんです。

最後に、職場の飲み会で肩身の狭い思いをされてる方。職場の飲み会が行われる目的は、ただただ樂しむ事です。だからと言って、無理に明るく振る舞わなくても良いです。共に働く友の話を、口角を上げて頷きながら聞いたげるだけで良いのです。そして、職場で嫌いな奴に悩まされてる方。そもそも、職に好き嫌いを持ち込んではいけません。直ぐに考えを改めるべきですが、嫌いな奴からハラスメントを受けてるとするなら話は別です。会社の上層部か、労働基準監督署に訴えましょう。決して諦めて退いてはいけません、戦って勝つべきなんです。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)