2600年の教え

Fortune Tarot

犬と猫は、抽象度が同じです。犬と哺乳類は、抽象度が違います。犬と哺乳類なら、犬の方が抽象度が低く哺乳類の方が抽象度が高いです。言い換えるなら、犬の方が情報量が多く哺乳類の方が情報量が少ないです。この時、哺乳類は犬を包摂すると書きます。情報量の少ない方が、情報量が多い方を包摂するんです。抽象度の高い方が、抽象度の低い方を包摂する訳ですね。哺乳類と魚類は、抽象度が同じです。哺乳類と脊椎動物なら、哺乳類の方が抽象度が低く脊椎動物の方が抽象度が高いです。この様に抽象度を上げてくと、最も上に空が在ります。

空は、全てを包摂してます。最も抽象度の高いものが、空という訳です。そして最も情報量の少ないものも、空という訳です。言い換えるなら空は全てのものと比べて、ほんのちょっとだけ情報量が少ないんです。空は、有を包摂してます。有は、般若心経という経では色と書かれてます。色即是空・空即是色、の色です。でも、これって誤ってますよね。色は、空です。色は空に、包摂されてますからね。でも空は、色ではありません。犬は哺乳類で哺乳類は犬・・・ではありませんよね。無即是色、なら解ります。色と無の抽象度は、同じですからね。

西洋哲学では、空という考えが在りません。だから西洋哲学は、上が開いてる訳です。でも東洋哲学では、上が空で閉じてます。では下は、何で閉じてるのでしょうか。それは、矛盾です。例えば、ニャーと鳴く犬。ニャーと鳴く分だけ、ほんのちょっとだけ犬より情報量が多いですからね。西洋哲学と東洋哲学を合わせると、上は空で閉じ下は矛盾で閉じてる訳です。こう考えると、私達の住む物理世界なんて本当に1部なんです。世界の殆どは、情報世界なんです。物理世界は、情報世界の1部なんです。情報世界の下の方に、物理世界が在る訳です。

不完全性定理、というものが在ります。要は、完璧なシステムは無いという事です。例えば「私は嘘つきだ」と、言ってる人が居ます。これが誠なら「私は嘘つきだ」と言いつつ正直者なので、矛盾してます。これが嘘でも「私は嘘つきだ」と言いつつ正直者なので、やはり矛盾してます。そして「私は正直者だ」と、言ってる人が居ます。これが誠なら、何の問題も在りません。これが嘘なら嘘つきが嘘を吐いてるだけなので、やはり何の問題も在りません。この様に、完璧なシステムなんて在り得ないんですね。これが、不完全性定理という訳ですね。

不確定性原理、というものも在ります。要は、絶対的なものは無いという事です。例えば、コップの中に湯が入ってます。この湯の温度を、棒状の温度計を入れて調べるとします。でも温度計を入れると、湯の温度は温度計の影響を受けて換わってしまう訳です。でも温度計を入れないと、湯の温度は計れない。この様に、絶対的なものなんて在り得ないんですね。これが、不確定性原理という訳ですね。小さな粒子の位置と運動は、同時に計れないんです。ソーッと調べようとすると運動しか解らず、位置を計ろうとすると今度は運動が解らないんです。

そして不完全性定理と不確定性原理は、物理空間が情報空間の1部だと考えると1つに纏めれます。情報空間に於ける不確定性原理が、不完全性定理なんです。物理世界に於ける不完全性定理が、不確定性原理なんです。これはつまり、神さんは居ないという事です。ただし神さんは神さんでもGOD、全知全能な主さんは居ないという事です。でも世には、プリンシプルは在ります。そのプリンシプルを学んで覚える事で、私達も神様の御技を使える訳です。その為に、抽象度を高く考えなければ成らないんですね。それは抽象思考、というやつですね。

点って、無いんです。点とは、線と線が交わった所を指します。そして線って、実は幅が無いんです。だからそんなものが交わっても、点なんて生まれないんです。でも多くの宗教では、点が在ると考えられてます。ただし点とは呼ばず、魂と呼んでますがね。因みに釈迦さんは、点なんか無いと考えてました。という訳で魂も無ければ、輪廻転生も在りません。死が怖いという人に対して釈迦さんは「死んだら、死への恐れも無くなるから大丈夫だよ」と言ったとか言わなかったとか。この辺を見ても、仏教は宗教ではなく哲学であるという事なんです。

詳しく言えば、釈迦さんは霊とか死んだ後の事に関してはノーコメントを貫いたんですよ。だからもしかしたら、霊も死んだ後の世も在るのかもしれません。仮に在るとするなら、釈迦さんは解ってたでしょうね。でも敢えて、語らなかったんですね。死んだ後の事を考える暇が在ったら、今を一生懸命に生きなさいよって事なのかもですね。霊や神さんと関わる前に、目の前に居る人に一生懸命に尽くしなさいよ。そんな釈迦さんのメッセージが、隠されてるのかもしれませんね。僕は仏教には興味を持ってませんが、釈迦さんには関心を持ってますね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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