インディゴチルドレンだとか、とにかくナンチャラチルドレンという語を聞いた事が在る方も多いのではないでしょうか。ザックリと言うと、今の子供は今の大人よりも体の歳は下でも魂の歳は上であるという考えです。因みに今の子供と言っても、既に40代とか30代の子も居ますがね。またナンチャラチルドレンよりも上の世代の中にも、少ないながら魂の歳が高い人も混ざってます。そもそも僕は、魂を認めてません。という事は、魂の歳とかも無いと考えてます。だからナンチャラチルドレンという考えに対しても、否定的な立場を取ってます。
でもまぁ「体の歳が上の人は無条件で偉いんだから、体の歳が下の人は絶対服従」という儒教の考えに比べればナンボかマシでしょう。また「年齢という外見だけでなく内面も見よう」という点でも、大いに良いと思います。ただ一部のスピリチュアリストの中には「子供の方が魂の歳は上なんだから、魂の歳が下の私達の様な大人達は子供を自由に育てましょう」とか言ってる人が居ます。確かに、子供は自由に育てた方が良いです。また、子供の人権を認め子供を1人の人間として扱うのも賛成です。でも上の発言は、何か違和感を感じるんですよね。
仮に魂も魂の歳も、在るとしましょう。で、今の子供の方が今の大人よりも魂の歳が高いとして・・・じゃあ、大人は何もせんで良いのかって話です。魂ってな、心の奥に在るもんです。いくら子供の魂の歳が高くても、その事に子供が気が付かなければ意味も価値も在りません。だから大人が、子供が我がの魂を煌めかせれる様に助けねばならないんですね。私達が生きてるのは、物理世界です。魂が在るとするなら、情報世界です。情報世界の魂を物理世界で現さなきゃ、それこそ宝の持ち腐れです。そして今、世はそんな惨めなケースで溢れてます。
ナンチャラチルドレンと言うなら全ての子、いや全ての人がそうです。でもその事に気が付かず、無駄に生を終えてく者の何と多い事か。性悪説と性善説って在りますが、あれはどちらも同じ事を言ってます。性悪説=人の本質は悪だけど学んだら善に成れるよ、性善説=人の本質は善だけど学ばなきゃ悪と同じだよ。つまり、どちらも「この世に生まれたら学べ」って言ってます。つまり、どちらも「あの世の魂が善でも悪でもどっちでも良いよ」と言ってます。ナンチャラチルドレンも同じで、子供が学べる様に大人は助けねばならないという事です。
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